はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1911-11-02 Thursday はつせの世界 第三章 8

明治43年5月3日は、『不磨の大典』たる大日本帝国が第一回の改訂を経て再施行となった日であり、改憲記念日として新たに祝日が制定されている。

その改憲において最も大きな影響を受けたのは、首相、つまりは内閣総理大臣の地位と権能である。

内閣総理大臣、という言葉に明確に表されているように、首相とは内閣の諸大臣を主導するする地位であり、閣僚の首座にいる存在である。それは国務大臣のリーダーであることを意味するが、大日本帝国憲法にはそもそも内閣の規定がないためその権能は運用上決定されているに過ぎない。

しかし43年改憲においては、内閣総理大臣の権限が明確に示された。

内閣が行政府の頂点にあること。総理大臣はその長として天皇の行政権を輔弼する第一人者であること。その「行政権」には「統帥権」を含み、軍の諸組織に対して武官の補佐を得て指導を行うこと。

要するに、それまで内閣の職権からは明確に分離されてきた統帥権を含めて、首相は国政を天皇に代わり総覧するべき存在として定義し直されたと考えて良い。

この改憲までには、伊藤博文山県有朋大隈重信西園寺公望といった元老達の中でも相当な軋轢があったが、最終的にはいくつかの縛りを入れることで合意に達していた。(なお、元老院についても憲法下の制度として明文化された。)


さて、改憲なった明治第一改訂版憲法下において初めて、内閣の交代が発生していた。

1911年10月に帝国議会において論争の的となったのは、台湾の本国編入と県設置に関する四法案、いわゆる台湾併合法案であった。改進党が提出したこの法案については、桂内閣与党であるところの同志会は時期尚早として反対、政友会は原則賛成であり、第一党ではあるものの安定多数を獲得していない同志会にとって好ましい情勢とは言えなかった。

同志会が台湾の内地化に反対する最大の理由は、台湾における日本企業の税制優遇措置を維持し産業を保護したいと言う点にある。対する改進党と政友会は、台湾が軍政下にあり社会基盤や教育の整備が積極的に行われていない点を問題視しており、台湾議会の設置準備や文官統治などを行うべきと唱えていた。

この議論自体には紛糾するだけの緊急性は含まれていなかったが、ここに予算や不正が絡んでくると途端に政局化する。この場合引き金となったのは、陸海軍合同による新型上陸戦部隊の研究予算であった。この『研究』には一個師団の増師及び緊急展開分艦隊の設立を研究するとしてあり、当然ながら翌年度以降は実際の予算措置が要求されることとなる。日露大戦前後と較べて比較的比率は下がったものの、軍が多額の予算を使っていることには変わらない現状で新規案件は議会として認めがたい。さらに、この『研究』部隊は台湾に根拠地を設営する計画となっていた。

「そんな無駄金よりも台湾に資本投下しろ。」

ここ数年のインフラ整備による好況に味を占めた議員や役人からこういう意見が出るのもやむを得ない事情と言えた。

結局この「海兵団問題」は、その技術的な有用性からはじまって、軍への予算配分額自体の再考や台湾及び朝鮮の取扱いについてまで広範な議論を巻き起こすに至り、桂太郎首相は帝国議会衆議院の解散を上奏。25歳以上の男子全員に選挙権を拡大して行われた総選挙は、僅差で第一党改進党、続いて同志会、政友会の順となった。いずれの党も単独過半数を維持できない情勢において、同志会は改進党との連立を選択。改進党から板垣退助が首班として立つこととなった。取引の材料となったものは、海兵団研究予算、台湾縦貫鉄道、台湾八県設置計画、そして陸海軍教育機関統合による予算整理であった。


板垣首相の大命降下に当たって、これまでの首相指名プロセスとは大きく枠組みが変わっていた。

それまでの首相指名は、元老の協議により首相候補者を天皇に上奏し、天皇がその中から次期首相を選ぶというプロセスをとっていた。より正確には、誰を選ぶべきかも添えて上奏しているから、事実上の首相決定権は元老にあることになる。

ここを、改訂憲法下では「衆議院の各党派による首相候補者推薦を基に」「帝国最高参議院による合議」で決めるとされた。要約すれば実質的な議院内閣制なのだが、この実現に当たって、天皇陛下より一つの条件が提示されたのであった。


「存念を述べよ。」

「はっ。」

直立のまま畏まった板垣の視線の先には、玉座に掛ける今上天皇陛下の姿がある。威厳に満ちた尊顔、特にその鋭い眼差しは老境に入った今なお衰えてはいない。

「次期内閣の指針は三点にございます。一つ、台湾をして皇国の一部と為し民心を慰撫すること。二つ、交通及び電力などの社会基盤整備を地方まで拡げること。三つ、国防及び海外居留民保護に十分な兵備を備えること。」

「外交は。」

「英米を始め列強各国との友誼を第一とし、帝国周辺での争乱において自国及び列強各国民保護を最優先と致します。第二に、国策として支那における勢力拡張は行いません。民間権益を保護するに留めます。第三に、日英同盟を継続するとともに米国との二国関係を強化致します。」

「他には。」

「政財官軍民の間で、人材の流動性を確保する必要があります。官吏や軍人に選良は必要ですが、選良のみでは道を誤ります。教育制度と人材交流制度、さらには海外への留学及び官費視察などを行います。」

板垣の応答に天皇陛下は肯かれた。侍従長が退出を促す。

謁見の間を後にする板垣は、控えの間で泰然と待っていた青年と会釈を交わした。東宮嘉仁殿下である。その横には愛娘の柚宮裕子殿下の姿もあった。

この後、首相交代時に天皇ないしは摂政宮から施政方針の確認を求められることが慣例となった。議院内閣制に移行するに当たって、新首相の人柄を天皇陛下自らが会って確認したいというのが元々の主旨であったが、図らずもこの『口頭試問』が国としての基本方針を継続的に維持させる役割を担うことになるとは、当初誰も予想していなかった。


「では、対支政策は問題無さそうだな。」

三宅坂、陸軍参謀本部の一室で、元帥杖を落ち着かなさそうに玩びながら、髭の老人が問い掛けた。

「ええまぁ。揚子江周辺と渤海湾の出口に拠点が有りさえすれば、我が国の権益は最低限守られます。他に手を出すとしても台湾対岸の福建か、海南島ですかね。無理する必要性を感じませんな。支那満州関東州の実効支配だけに留めて、あとは上海・広州で租界襲撃に備えるだけで十分です。」

問い掛けに、ピシリピシリと饒舌に答えるのは白い海軍の制服に身を包んだ壮年の少将だった。

「そのための海兵師団か。」

「いえ。欧州に備えてるだけです。ガリポリとか。杭州辺りで使えるかも知れませんが。それよりも、師団を動かすための兵站と海上輸送の護衛の方がよほど課題です。」

予算を削られなくて本当によかった。と付け足す少将に、一座の長である元帥は全くだと同意した。

「それで福島君、きみの方は……」

「対支工作に関しては心配無用です。あくまで『個人』『民間』の協力者を活用しています。玄洋社、東亜同文会、三井商事なりを通して間接的な干渉に留めています。内政不干渉方針に触れる危険はありません。」

恰幅の良い陸軍中将がニヤリと笑う。実際、支那の革命勢力の多くと日本の諜報機関は接触を持っており、その動向は全て彼の下へと集まってくる。

支那が民国政府の連合体、連邦国家になるならばよし。孫文の言うように統一国家になろうとするならばそれもよし。あるいは、列強が本気で中国征服に望むもよし。日本が大陸に必要以上に関わらずとも済むようコントロールされていれば当面問題なかろう。」

そう、冷徹に言い放つ陸軍元帥・児玉源太郎に、対面の海軍少将・秋山真之は苦笑を浮かべた。

「『支那で殖産しても儲からない』などという結論が出るとは思いませんでしたからね。」

手許の冊子を長めながら秋山は言う。その書類には『中国における植民地維持収支モデル1912~1962予測』と書かれていた。

支那が、列強いずれかの支配下にあるのは困るが、そうでないならば必要以上に踏み込まない方が損失にならない。『門戸開放』『機会均等』が望ましい、か。」

陸軍参謀本部次長・福島安正中将も感慨深く呟く。

「『支那通』達には民間事業として動いて貰おう。軍として銃砲の払い下げくらいなら協力してやるに吝かではないがね。」

児玉の言に同席者達、即ち国務諜報院の幹部達は肯いた。

この後支那では翌年に掛けて革命の争乱が続き、各地で戦闘が行われるが、民国軍、清国政府軍供に、海外から輸入した小銃を装備して戦った。その実に四割が村田銃や38式歩兵銃、いわゆる『有坂』であった。これにより銃弾製造の民間工場が大いに潤った事は言うまでもない。