はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1911-10-22 Sunday はつせの世界 第三章 7

「我はここに、『中華民国湖南軍政府』の樹立を宣言する! 我らは湖北軍政府並びに他の民国政府と手を携え、満清を覆滅し、漢民族による共和の国を打ち立てん!」

恰幅のいい黄興が高らかに宣言すると、雲一つ無い青空の下に集まった万を超える兵士と群衆が、熱狂的な喝采の声を上げた。

「満軍との戦いには一人でも多くの兵士が必要だ! 新軍への入隊はいつでも受け付けている!」

清の新軍とは異なる濃紺の制服を着た青年士官・程潜が叫ぶと、人の群れがどっとそちらへ寄った。既に湖南軍政府支持を表明している湖南新軍の部隊は、程潜や殷汝耕といった海外帰還組から新たな制服を受け取り着衣を改めていた。この濃紺の制服は実のところ日本の陸軍がかつて使用していた軍装の払い下げ品に手を入れたものであり、襟や袖の記章と制帽だけが革命軍用に誂えられていた。

長沙城内の練兵場に集まった多くの志願兵を見て満足げに頷きながら、黄興は固太りの身体を揺らして歩き始めた。この後、庁舎で長沙市の主要人物との会談が予定されており、その後も寝る間もないほどの政務が待ちかまえている。中華民国湖北軍政府総理であり、湖南軍政府総理も兼任する黄興は、いまや彼自身が中華民国であり革命そのものといっていい。

全国の鉄道国有化に端を発した四川弾圧から、武昌での決起、武漢三鎮の制圧まで。ある程度の流動性はあったが、全ては周到に準備を進めた中国革命同盟会中部総会の計画通りと言えた。それもこれも、一朝事あれば革命の火を上げるためにと軽挙妄動を抑え、海外の同胞に丹念に支持を広げ、着実に力を蓄えてきたこの数年の雌伏があればこそである。武昌の決起を待ちかまえていた黄興と同志の面々は、事件翌日には現地に入り臨時の軍政を掌握、すぐさま討伐軍邀撃の準備に入った。革命派制圧のために送られた満軍を待ち伏せを駆使して撃破し、湖北を掌握。事態はいよいよ勢力を南と東に伸ばす段階に入っていた。


武漢三鎮に続き蜂起が成功した長沙は、今だに戦闘の興奮も冷めやらぬ喧噪の中にあるため、周囲には革命同盟会の党員が厳重な警戒体制を敷いていた。銃を手に整列する湖南新軍の兵士に守られて、黄興と殷汝耕が官舎前で馬車を待っていた。

「兵の編成は上手く行きそうか。」

「程潜は出来物です。日本人はよほど熱心に仕込んでくれたようで、彼に任せておけばすぐに何とか戦える態までは持っていけるでしょう。新軍には日本帰りの若い指揮官も多数迎えています。」

殷汝耕の回答に黄興はニヤリと口髭を曲げて見せた。

「南京を早急に落とさなくてはな。上海と連絡できれば補給ももっと取り寄せられる。満軍とあと二会戦はあると思って備えなければ。」

その口から漏れる台詞は現実的な政治家のそれだが、口調には明らかに興奮と前途への明るい見通しが満ちていた。10年を超える黄興の革命活動は、失敗と逃亡と再起の連続であった。漸く成功の芽を出した事態に、笑みが漏れるのも無理はない。

馬車が回され止まろうとする瞬間。一発の銃声が乾いた音を立てた。続いて二発の銃声。

「総理をお守りしろ!」

聞き慣れない訛りのある声が叫ぶと同時に、程潜麾下の新軍兵士が黄興と随行者を背に囲んで官舎の玄関へと誘導する。一瞬遅れて馬車から、バフン、というくぐもった破裂音が上がり、白煙が立ち上った。さらには青白い発光とそれに続く黒煙。拉げた馬車の車体はゆっくりと燃え広がりはじめた。

「刺客がいるぞ!閣下を中に!」

程潜の興奮した叫びに動揺が走る中、高く良く通る声がその場を一喝した。

「暗殺者は捕らえた!北京の手の者だ!」

遠巻きに爆発を見守っていた群衆を割って、一人の男が現れる。

身長はさほど高くないが、その立ち姿にはどこか風格があった。後ろに撫でつけた総髪に清国人風の服装を纏っているが、よく見ると洋靴などから外国人であることが分かる。手には小型の自動拳銃。そして何よりも目立つのは、面長の端正な顔の半分を覆う黒い眼帯。右目を覆う革のシンプルなそれは、赫々と燃え上がるような左目の眼光を一層際立てていた。黒髪黒目のその男は、左手で襟を掴んだ男を引きずり出して前へと突き出した。

「北君!」

「この男が総理暗殺の首謀者です。北京の狗ですよ。」

黄興に伊達に一礼して見せた後、北と呼ばれた男は後ろにサインを送った。それに合わせて人混みの中から三人の女性が現れる。

一人は珍しいデザインの洋服を身につけた女。満州旗人の着る旗袍(チーパオ)とタイトドレスの合いの子のようなその服は、鮮やかな緋色のシルクで作られており、しっかりと留められた首元とは対照的に、ワンピースドレスの裾には大胆なスリットが入っており、そこから覗く細い足は服と同じく赤いハイヒールを履いている。いわゆるチャイナドレスが初めて世界に登場した瞬間であるが、当の中華人たちも初めて見る服装であった。シニヨンに黒髪を結い上げ、耳元の髪だけを長く垂らしたその顔は小作りながら、印象の強い目元が見るものをハッとさせる。

その隣にいるのは和服、それも女学生風の矢絣と紫袴を身に纏った清楚な少女。足下は茶色の編み上げブーツで固めているが、服の上から羽織った革のコートの組み合わせがよく似合っていた。肩で切りそろえた黒髪から覗く顔立ちは『愛らしい』と『美しい』の中間くらい。繊細で神秘的な印象を受ける。

更に三人目も女性であったが、こちらは軍装姿の背の高い西洋人であった。どこの物とも知れない黒い軍服に大きな制帽、同じく黒い軍袴を黒いエナメルのロングブーツに突っ込んでいる。同じく黒革のコートの襟からは豪奢なブロンドがこぼれ落ちている。怜悧だがどこか愛嬌もある容貌には、獲物を見つけた狩猟動物を思わせる笑みが浮かんでいる。

彼女らは、それぞれ一人の男を引きずり出し、北の前にいる男のそばへと転がした。後ろ手に縛られ恥も外聞もなく泣き叫ぶ三人は、例外なく三人ともが衣服の右膝を朱に染めていた。

「彼女たちは私の部下でしてね。今回の暗殺犯、この四人だけではないと思いますが、詳しい捜査は皆さんにお任せしますよ。」

兵士達が慌ただしく暗殺犯と思しき男達を連行し、馬車を片付け始めるのを見つつ、北は黄興に挨拶した。

「お久しぶりです、黄先生。いや、今は総理閣下と申し上げるべきでしょうか。」

「いやいや、いつも通りで構わないよ、北君。それより、また危ういところを救って貰ったようだ。一体全体、君には何度お礼を言えばいいのやら。」

茶化して言う北に、黄興は漸く安堵に胸をなで下ろしつつ答えた。

「なに。これが僕の使命ですからお気になさらずに。ところで、宋先生のお姿が見えませんが。」

「ああ、得尊なら今は長沙政庁にいるよ。一緒に行けば会えるはずだ。良かったらどうかね。……馬車は無いから歩きになるが。」

「喜んでお伴しましょう。」


「北君!良く無事で!」

眼帯の男と顔を合わせた湖南軍政府都督府総長、つまりは黄興総理の腹心である宋教仁は、満面の笑みを浮かべて駆け寄りその手を握った。

「漁夫先生こそ、その後お仕事が上手くいったようで何よりです。」

北もその手を握り返す。漁夫先生こと宋教仁と北はこの五年間、間に何度かの音信不通を挟みながらも、革命実現のために手を携えてきた同志であった。

「それにしても、北君。三月前に上海で分かれてからの間どうしていたんだい。無事だったなら連絡くらいくれてもいいだろうに。」

「いやなに、少しばかり野暮用を。」

陽気に笑いながらも、本気で心配していたと伝える宋教仁。一方の北は、いかにも偽悪的な表情で返した。後ろに控える三人の美女を指し示してみせる。

その取り合わせに本気で首を傾げる宋に、北は愉快そうに大声で笑った。

「ははは、紹介しますよ先生。こちら、順に李蘭香嬢、林明美嬢、雪露嬢。実は三人とも外国人と清国人の間に生まれた混血児でしてね。いろいろありまして末長師範*1から預かったのはいいのですが、これがまぁ、絵に描いたようなじゃじゃ馬ばかりで。私よりも腕が立つ有様で、やむなく仕事を手伝って貰っています。」

陽気に笑いを飛ばす北に、雪露と紹介された金髪の女性が文句を付けた。

「ちょっとヘル・イチジョー。その発言はレディに対して失礼じゃないかしら。」

「見て下さい。この有様で尻に敷かれているのですよ。」

おどけてみせる北に、宋教仁も笑いを重ねた。

「ところで、イチジョーとは。」

「ああ、私、今はこう名乗っておりまして。」

北は懐から名刺を取り出すと、気障な素振りで差し出した。

「『亜細亜航空兵団 主任飛行士 一条輝』」

「そういう商売を始めましてね。お客様を乗せて高いところを飛ぶのが仕事ですが、なかなかの見晴らしですよ。いろいろ見えます。」

「例えば……敵陣の動きとか?」

宋の答えに、一条輝こと本名・北輝次郎はニヤリと含み笑いだけを返した。あるときは眼帯をした流れの武侠。あるときは和僑の武器商人。思想家であり活動家であり片眼の魔王の異名を持つ彼の通称は、北一輝といった。


>第三章 8

*1:末長節(すえながみさお):アジア主義結社玄洋社の一員で中国武術に親しむ。