はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1911-03-11 Saturday はつせの世界 第三章 6.5

東京市内で今もっとも活況を呈している場所と言えば、それは間違いなく東京中央停車場の建設地である丸の内である。新橋-上野新線の敷設が漸く佳境に入りつつある中、中央停車場は地盤整備が終わりいよいよ駅舎建物に着工しようとしていた。

東京中央停車場は、国有化された全国幹線鉄道の中央駅となる予定であり、南は大阪を越えて神戸まで北は仙台を通り青森まで、すべての鉄道の起点となる計画である。いずれは九州・四国・北海道ともトンネルや鉄橋を通して鉄道網で結ばれる予定であり、この駅はそのすべてを代表する駅となるはずである。近年とみに進歩の著しい日本の建設技術、その中でももっとも先進的な技術を持つ三組の一つである大林組がこの施工を請け負っているのだが、工事現場の前にはすでにその完成予想図が張り出され大きな話題を呼んでいた。洋風建築の粋を集めた赤煉瓦の豪壮な姿は、東洋一の帝国の玄関口にふさわしい威容を誇る。また、現場の横には展示館が開設され、建築前確認のために作られた模型や、全国の鉄道整備計画の模式図などが展示され、大いに客を集めていた。特に、明治49年に着工予定とされている関門海峡トンネル関連の展示は、世界最初の海底鉄道トンネルとの謳い文句もあって大いに注目を集めている。

そんな、新名所の予感漂う場所(但し今はまだ広々と切り開かれた原野である)の一角には、鉄道展示とは別に黒山の人だかりが出来ていた。

一段高くしつらえられた壇は周囲を紅白の段幕で覆われ中をうかがえない。その壇を見下ろすようにひな壇席が設けられ、そこには貴賓とおぼしき人々が席を埋めていた。警護の巡査が隔てる少し離れた場所には、立ち見の群衆が横に幅広く場所を埋めている。ひな壇と群衆がいる観客席の目の前には、だだっ広い原野を利用した楕円状の車路が設営されている。最近、道路の一部で見られるようになったアスファルト舗装が施され、一見飛行場のようにも見える。一昨年、所沢に開設された陸軍飛行場がこういう滑走路を設けたことで一時話題になっていた。

「お集まりの皆さん!」

派手な出で立ちの紳士が壇上に現れる。紳士の頭上には『朝日技研工業会 新製品発表会』という横断幕が掲げられている。

「朝日技研工業会の新型自動車発表会にようこそおいでくださいました。私、本日のご案内役を務めさせていただきます鮎川義介と申します。よろしくお願いいたします。」

鮎川義介と名乗った若者が芝居がかった態で一礼すると、大きな拍手と同時に閃光電球の輝きも光る。


この発表会は、既に多くの関係者から大きな関心を集めていた。

もちろん、大々的に事前広告を打ち、狙い澄ました人物に招待状を送るなどの広告戦略を駆使して注目を集めるように動いていた結果ではあるが、それ以上に、世界に衝撃を与えた乗用自動車『昴』の開発企業である朝日技研工業会の新製品発表会であるからに他ならない。

昨年1910年に発表された日本の純国産自動車『昴』は、モータリゼーションで30年は日本の先を行っていると考えていた欧米諸国に大混乱を巻き起こした。

1300cc直列4気筒OHCダブルバルブのエンジンは最高65馬力を発揮。

ラダーフレームに取り付けられたエンジンは、プロペラシャフトを介して後輪を駆動するオーソドックスな駆動形式。

後輪は左右独立のリーフスプリング、前輪は新方式の独立懸架式サスペンションを採用した独自の足回り。

更に、タイヤを覆うカウル式のタイヤホームとゆったりとしたカーブを持つハードトップを持つ箱形ボディは、これまでにない雄々しいフォルムを備えた未来的なデザインである。

これが見た目だけの車ならばまだよかったのだが、幅広のタイヤを備えたその車は見事な安定性を保ったまま時速70kmの高速を発揮し、尚かつ驚くほどの耐久性を見せたのである。

事実、昴はデモンストレーションとしてパリ・ローマ間を7日間で完走してのけ、その間二度のタイヤ交換以外は故障らしい故障を起こさなかったのだ。

そして、その価格は399円。米ドルにして約800ドル。先年1万台以上を売り上げた大衆車フォードモデルTよりも安いのである。もちろん、大学卒学士の初任給が20~30円という事を考えると、とても市井の人々においそれと購入できる値段ではないのだが、内装も外装も凝った先進的高級車がこの価格ということ自体がまずあり得ない事であった。

『昴』は宣伝のため皇室へ公用車として贈呈されると、皇太子殿下ご一家が物珍しげに車へ乗り込む姿が写真に納められ、新聞へと掲載されて話題を呼んだ。開かれた皇室の鮮烈な印象ともあいまって、発売以来大量のバックオーダーを抱えている人気車となったのであった。


「本日皆様にご覧に入れますは、ご期待通り我が社の新型自動車であります。」

鮎川の声に、観衆からは歓声と響めきが起こる。皆が皆、『昴』に続く新型車の噂を聞いて集まってきたのだ。

しかし同時に、どういう新型車のかは全く憶測ばかりが駆け巡っていた。

曰く、小型二輪車『カブ』の新型。

曰く、『昴』を超える超高級車。

曰く、世界最速の競技自動車。

朝日技研の広告も、それを煽るようなイメージ展開を行ってきたため、今日この日にどんな製品が発表されるのかは、自動車を手にするあてもない一般大衆にとっても話題の的なのであった。

「恐らく、皆様のご期待は我々が思うよりはるかに大きいのではないかと恐れておりますが、同時に、我々朝日技研、そして共同開発の企業、ダット自動車、大阪発動機、豊田自動織機東洋工業といった一同は、必ず皆様のご期待に応えられると自負しております。」

進行役の自信に満ちた声に、更に歓声が上がりカメラの照明が眩しく瞬く。

「では、そろそろお見せいたしましょう。」

鮎川の右手が挙がり、振り下ろされる。舞台の四隅で小さな爆音と共に四色の煙りが立ち上る。そして高く囲われていた弾幕が落とされた。

舞台の中央にライトアップされ照らし出されたその車は、確かに新型車であった。特徴的な丸形ライトが左右に二灯ずつ並ぶフロントグリルの表情といい、低く抑えられたボンネットといい、全体的に『昴』に似てはいるが、より精悍で小さくまとまった印象がある。

だが、観衆には戸惑いの表情があった。

幾分小さく、それに比例して幾分馬力も低いであろう車。これが、あの傑作『昴』よりも優れた車と言えるだろうか。

「これが、我々が皆様にお届けする真の大衆車『晃』(あきら)です。」

そう悪戯っぽく言うと、鮎川は一段高い新型車の横へ軽い足取りで駆け上り、自動車の横に置かれたプレートの幕を芝居がかった仕草ですっと外した。

『晃』『予定価格99円』

シンプルで見やすい活字を使って書かれたそれは、小さいながらも最大限の効果を発揮した。

一瞬もたらされる静寂。

「えええええええええ!!」

それを切り裂く驚愕の声が上がると、それ以降はさながら蜂の巣を突いたような騒ぎが続いた。納めようがない有様に苦笑する鮎川を、新聞社や通信社のカメラが何度も捉えた。

「皆様。この『晃』が、値段が安いだけのボンクラ息子ではないことをお見せいたします。」

まだ騒然とする場内に宣言すると、鮎川は運転席のドアを開けて新型車に乗り込んだ。

クラクションが鳴り、新型車は軽快なエンジン音を響かせて壇上の斜面から舗装路へ下り、次第に加速して疾走し始めた。

鮎川の駆る朝日技研工業会DAT-E16『晃』はその日、舗装路を7周して時速60キロでの安定走行を見せつけた。

それを伝える外電は世界中を駆け巡り、200ドルのサムライカー『ACURA』として知られることになる。


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