はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1910-11-18 Friday はつせの世界 第三章 4

ダウニング街10番地のこぢんまりとした一室に、円卓を囲んだ10名ほどの紳士が報告書を前に言葉を交わしている。

「それで。まずは結論から聞こう。」

オックスフォード及アスキス伯ハーバート・ヘンリー・アスキス、つまりは大英帝国首相が砕けた様子で切り出した。

「日本は、第二のイノベーションに突入したように思います。あの国の進歩には、正直なところ限界がないのではないかと畏れております。」

「君の感想はいい。我々が知りたいのは、『日本をどう思うか』ではない。『日本をどう扱うべきか』だ。」

アスキス首相に応えて、室内の端に控えた若い男性が返答すると、10人のうち一人が鋭い声で叱責を飛ばした。大蔵相デビッド・ロイド・ジョージである。

「我々の結論は、『学ぶべきを学び、与えるべきを与えよ。その軛を決して放すな』です。日本は大英帝国にとって得難いパートナーです。ですが、敵に回すと合衆国並みに厄介な相手になるかと。」

青年の横に立つ、壮年の男性が取りなすように言葉を継いだ。

「もちろん、日本は『大英帝国』にとって欠かすべからざる同盟者だよ。チャイナとインドを維持するには、日本の協力は不可欠だ。だが、かの国の国力も軍事力も、今だ我らヨーロッパ列強には遠く及ばない。将来にわたって、そこまでの脅威たり得るだろうか。カミング大佐。」

帝国国防委員会外国部附属秘密勤務局、つまり略称SISの局長であるマンスフィールド・スミス=カミング海軍大佐は、質問者、外務大臣エドワード・グレイに慇懃な同意を返した。

「詳しくは報告書に記載しておりますが。」

スミス=カミング大佐は、世界最大の帝国の舵取りをする閣僚達を前に、臆することなく悠然たる態度で説明する。

「日本の科学力はドイツに並び、労働者の教育水準は我が国に匹敵し、陸海軍ともに精強です。そして、極東において唯一の列強でもあります。露仏独米、いずれを牽制するにも有効に機能する同盟者ですが、もし敵対すれば我々は支那を失います。支那を失い、シンガポールを失えば、オセアニアとインドも危うくなるでしょう。そして、インドの喪失は大英帝国の没落そのものです。」

大佐は手許のペーパーに目を落とし、言葉を続けた。

「我々の採るべき態度は、新たな友人をテーブルに招き入れるホストのようにあるべきです。」

「それは彼、『M』の提言かね。」

閣僚の末席に座る若い閣僚(僅かに額が後退しつつあるが)、通産相ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル卿が尋ねた。

「もちろんその通りです。我々SISの頭脳は彼ですからね。」

大佐は肩を竦めた。

「わかった。詳しい報告内容を聞こうか。」

実質的な閣僚の取り纏め役、ロイド・ジョージの言に、SIS局長は傍らの青年将校を促した。

「具体的な内容は、実際に日本まで足を伸ばした彼に説明させましょう。トマス・ブレア・コクラン海軍中尉です。」

敬礼してみせる二十代半ばの海軍士官に向けられる視線は、先ほどまでの厳しいものから、好奇心の入り交じったものへと変わった。

「『海の狼』のひ孫か。」

第一海軍卿、ジョン・アーバスノット・フィッシャー海軍大将の無遠慮なつぶやきが室内に響いた。


コクラン中尉は、1908年より駐日本英国大使館の駐在武官として東京及び日本各地を見聞し、その他現地諜報員と共同して情報収集に当たってきた。

まず、彼が命じられたのは日本海軍の戦艦、それも新鋭戦艦8隻の建造についての調査であった。

日本海軍は、1907年の巡洋戦艦筑波を皮切りに、筑波級4隻、安芸級4隻、計8隻のドレッドノート型戦艦を整備していた。ドレッドノートの竣工が1906年末であるから、その1907年2月就役の筑波は僅か3ヶ月ほど後でしかない。戦艦の定義を塗り替えるに至ったドレッドノートは、その竣工の時まで秘密裏に計画が進められていたから、本来であれば日本海軍がそれに匹敵する(安芸に至っては砲配置や装甲で僅かにドレッドノートを凌ぐ)艦をほぼ同時期に完成させることなど不可能である。

であるから、コクラン中尉とその上司ジェームス・サマヴィル少佐に課せられた使命は、本質的にスパイ捜しであったと言っていい。

しかし調べを進めるうちに、日本国内で起こりつつある変革が非常に大規模なものであることに二人は気付いた。本国にもそれに気付いたものがいた。それはM機関と呼ばれる首相直属の諮問機関であり、コクラン達は本国よりの訓令に従って『同盟国の友誼を損じない範囲で』情報の収集を強化した。その対象は広範で、軍事に限らず経済・産業や教育、あるいは法制度などに及んだ。

その情報をを元にして、今回の報告は作られている。

同様にして独仏露墺米伊についても統合評価資料が作成されている。つい先年にM機関改めSISとして改組成立した『大英帝国秘密諜報部』の、最初の仕事がこれであった。


「まず、特筆すべき点は日本の驚異的……」

じろりと睨んだロイド・ジョージの視線に、コクランは咳払いして言い直した。

「非常に高い経済成長率です。特に主要輸出産品である絹糸の他、支那へ向けた粗鋼と船舶の輸出が大きく伸びています。もちろん、購入しているのは大連や上海の各国商人ですが。」

大連は、満州や朝鮮で活動する英国商人にとって香港・上海と並ぶ拠点となりつつある。日本軍が満州において治安維持に努めていることと、日本人と同様の最恵国待遇が守られているからだ。英国商人の多くは、金融や保険の取扱の他、鉄道向けの軌条生産などを手がけていた。

「また、昨年からはレーヨンや新繊維の輸出が始まっています。特に新繊維のキプラやアセティトは我が国やフランスでも輸入し始めています。他に、自動車の生産も一部で始めた模様です。こちらは軍用が主ですが、オートバイや自転車など二輪車・三輪車は国内や海外市場へ少数供給を始めているようです。」

「日本は、科学分野では大きく遅れていたはずなんだが。」

スペンサー=チャーチルの発言に、コクランは肯いた。

「日本の科学技術が急速に進歩し始めたのはここ数年のことだと思われます。」

「原因は。」

「日本では多年にわたって西洋文明圏へと留学生を送り出してきました。恐らく、その努力が結実したのではないかとか愚考します。」

その回答に通産相は、眉間にしわを寄せてふんと鼻息をついた。

「国内の社会基盤整備も大きく進んでいます。」

コクランは報告を続ける。

「鉄道と道路の整備が並行して行われています。また、東京は昨年から大規模な都市再整備計画が始まっています。全般的に、東京大阪の二大都市を中心とした都市間の交通を国有鉄道で結び、都市周辺の交通を私鉄と自動車道で結ぶものです。日本政府内では、この計画を『国土改造計画』と呼んでいるようです。国有鉄道は軌条を標準軌化し、機関車はアメリカ合衆国から輸入しています。一部のトンネル掘削技術では新方式を試しているようで、我が国の技術者でも未知のものがあるようです。」

「随分金を掛けているな。」

「経済全体が上向いている事に加え、我が国や米国から政府規模の借款を行っています。それでも、戦時借款をほぼ返済し終わり、減税も行っています。また、支那インドシナなどでは日本円の信用が非常に高くなっており、ポンドと併用されています。経済の好調を正金政策が下支えしている形でしょう。」

数字を眺めつつ、ロイド・ジョージは頷いた。

「また、社会制度の変革も大きくやっています。代表的なものとしては、税制を間接税から直接税に切り替えています。実質的には国民の大多数にとって減税として働いていますが、企業にとっては負担増となっています。また、労働問題についても、産業別労組の公認や労働保険制度などを行っています。既に導入されている成年男子普通選挙制度や、医療支援制度などは、一時期の増税による国民不満を緩和する策として実施されましたが、概ね好評のようです。また、農地政策にも大きく手を入れています。日本には古くから不在地主制度がありましたが、その禁止が決まり昨年は大きく問題になりましたが、大規模自作農への優遇制度を設けて強引な解決を図っています。」

「日本にも社会主義政党があったか。もしかして共産党じゃないだろうな。」

内務相のグラッドストンが質問する。

「政権首班はキンモチ・サイオンジです。彼は社会民主派ですが共和主義者でも共産主義者でもありません。」

「敢えて言うなら、ビスマルクの政策を焼き直しした、というところか。」

外相のグレイは、グラッドストンよりも落ち着いた声で補足した。

「最後に軍事ですが。」

コクランはわずかに苦笑を浮かべて続けた。

「海軍は質だけを考えれば世界最良でしょう。新鋭戦艦8隻と新型巡洋艦8隻。さらに駆逐艦を大型化して汎用艦船として使用し始めています。西太平洋で、この規模の日本海軍に対抗しうる国はありません。日本が本気になった場合、フィリピンやインドシナはかなり危うくなるでしょう。」

「我が海軍も、シンガポール以東で日本海軍と争うのは難しいだろうな。同盟国であることは何よりだ。」

海軍大臣レジナルド・マッケナの言葉に、横で聞いていたフィッシャーが大きく咳払いをした。フィッシャーもマッケナも、ドイツ対策のために海外艦隊を整理し本国艦隊を増強している当人であり、日本海軍に存在感があることは歓迎できる事態なのだ。だが、日本と対抗するために東洋艦隊増派などという意見が出ては困る。

「なお、ドレッドノートの情報漏洩は証拠が見つかりませんでした。しかし、安芸級と筑波級は1905年後半に急遽改設計が決まっており、ドレッドノートの起工時期と重なります。やはり何らかの間接的な影響があったのではないかと考えています。」

「SIS第5部で調査は続行中です。」

スミス=カミング大佐の補足に、海軍の二人は軽く肯いた。

「陸軍は、兵員数の削減と並行して装備の刷新を行っています。その新装備を使用した実戦試験を満州で何度か行っており、こちらは大連駐在武官のオーキンレック中尉が報告しているとおりです。」

自動小銃、擲弾筒、分隊機関銃、肩持ち歩兵砲、大型迫撃砲、長距離砲、飛行機、自動車。どこまで本当なのかね、これは。」

陸軍参謀総長ウィリアム・ニコルソンの揶揄するような問いかけに、コクランは肩を竦めた。

「彼らは大まじめのようです。なお、これらの火器については私も、東京陸軍工廠の南部中佐から実物を見せて貰いました。オーキンレック中尉の報告に嘘や誇張があるとは思われませんでした。また、日本の陸軍省からは、我が国で調査のために必要であれば少数ならば有償提供可能だとも聞いています。」

「日本人の武器か。どれだけ宛てになるか分からないが、試してみるのも良いだろう。」

半ば嘲笑するようなニコルソンの声に、周囲も同調の声を漏らした。


後に、明治42年式小銃を調査した英国陸軍は、この小銃の射程が短く弾薬の浪費が激しいとの理由で、同種の歩兵用火器を採用する必要性を認めないと報告した。

その過ちが正されるのは、1915年になってからのことである。


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