はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1910-02-11 Friday はつせの世界 第三章 1

いかな立春過ぎとはいえ、2月上旬の風はまだまだ寒い。まして20ノットを超える速度で海面を切り裂くように進む船の甲板とあれば、『春は名のみの風の寒さ』どころではない。もっとも、彼女にとって親しみのあるその童謡も、今だ作曲されてはいないのであるが。

「淳宮、寒くはないか。」

「いえ、平気です姉様。」

冷えた空気に鼻の先を赤くしながらも、元気な声を返す弟宮に、柚宮裕子内親王は目を細めた。彼女の弟は、眼前に広がる大スペクタクルとも言える光景に見開いた目を輝かせていた。

「姉様、あの船は何というのですか。」

「爺。」

柚宮が振り向いて問うと、近くに控えていた恰幅のいい老将が腰をかがめて答えを返す。

「あれは二等巡洋艦、三隈です。」

「新鋭の艦であったな。」

「はっ。」

肩章からして、その老将は紛れもなく海軍大将である。日高壮之丞男爵・特任侍従武官であった。軍事参議官として天皇陛下の帷幄に侍る他、皇族の扶育に当たっているこの人物が、人前に姿を見せることは珍しい。一時期健康を損なっていたとも言われていたが、好々爺然と笑みを浮かべるその顔は血色も良く、60を過ぎたその年よりも若く見えるほどだ。

「爺。あの三隈という船にしても、この安芸にしても、ひどく艦橋が高いのだな。」

その日高に、柚宮は問いを投げかけた。

「安芸の主砲は、三笠に搭載されておりました12インチ砲の改良型に当たります。三笠の12インチ砲は最大射程10kmでしたが、安芸では改良によって約30kmまで伸びております。また、最上級の15.5サンチ砲も27km、朝風級の12.7サンチ砲も16kmの射程を誇っております。」

白い男装の洋服に身を包んだ柚宮は、日高の説明に肯いている。彼女にとって、こういった話はすでに百も承知の知識であるが、あまり軍事に触れる機会の無かった弟宮へのレクチャーと、周囲へのアピールを兼ねてやりとりを重ねている。

「それ故、射撃した弾頭が着弾する位置がそれだけ遠くなり、高い艦橋からでなければ確認が出来ないのです。要約いたしますと、」

「当たったかどうか見るため、ということじゃな。」

「然様にございます。」

「ではっ」

二人のやりとりが収まるのを待ちかねたように、淳宮雍仁親王が矢継ぎ早に質問を始めた。

戦艦肥前の甲板から眺める東京湾には、無数の艦列が連なっている。明治43年の紀元節を祝う観艦式には、戦艦4隻、巡洋戦艦4隻の新鋭主力艦をはじめとして40隻を超える軍艦が集結していた。


天皇の名代として観艦式に臨席したのは皇太子・嘉仁親王であるが、皇族の中で実際に軍艦に載って参加したのは二人の親王であった。8歳の柚宮裕子内親王と、弟宮で7歳の淳宮雍仁親王である。その側には侍従武官の他に、近年導入されたという皇宮女性武官の姿も二名見えた。

「艦長、良い艦だな。」

「はっ。」

甲板を後にする際、柚宮は戦艦安芸艦長の佐藤鉄太郎海軍大佐に声をかけた。男装とはいえまだ年端もいかない幼女にかけられた台詞に、艦長はドギマギしながら敬礼を返した。

迎賓室の中に入り、側付きの藤乃*1の手を借りて椅子に座ると、柚宮は手元のティーカップに口を付けながら促した。その横では、同じく側付きの各務*2から渡された洋菓子を淳宮が嬉しげに口へ運んでいた。

「爺、新鋭艦の詳しい話を聞きたい。」

柚宮がこの観艦式で、御召艦ではなくわざわざ第一艦隊旗艦へ乗艦したのは、より詳しい説明を聞きたかったからである。

「説明は艦政本部の村上少将から申し上げます。」

「では、まずは要目からご説明いたします。」

戦艦安芸級:安芸、薩摩、相模、肥前

常備排水量:24500t 全長:171m 全幅:26.8m 喫水:8.8m

機関:蒸気タービン4軸 32000hp

速力:22ノット

兵装:45口径12インチ砲連装4基8門、40口径6インチ砲単装18門

巡洋戦艦筑波級:筑波、生駒、伊吹、鞍馬

常備排水量:20400t 全長:174m 全幅:24m 喫水:8.6m

機関:蒸気タービン4軸 39000hp

速力:25ノット

兵装:45口径12インチ砲連装3基6門、40口径6インチ砲単装8門、

二等巡洋艦最上級:最上、三隈、熊野、鈴谷、(利根、筑摩、矢矧、平戸)

常備排水量:5400t 全長:162m 全幅:15m 喫水:5m

機関:蒸気タービン4軸 31000hp

速力:27ノット

兵装:50口径15.5cm砲連装4基8門、45口径7.5cm高角砲単装6門、53cm魚雷発射管4門

一等駆逐艦朝風級:朝風、春風、時雨、朝露、疾風、追風、夕凪、夕暮、(夕立、三日月)

常備排水量:1500t 全長:119m 全幅:12m 喫水:3m

機関:蒸気タービン4軸 26000hp

速力:30ノット

兵装:50口径12.7cm速射砲単装4門、45口径7.5cm高角砲単装4門、53cm連装魚雷発射管3基6門

「安芸級と筑波級は全艦、最上級二等巡洋艦は4隻、朝風級一等駆逐艦は8隻が既に就役しています。これらの艦は、全て石炭と重油の混焼となる高温高圧缶ボイラーを使用しており、従来よりも高出力を可能としております。」

「ふぅむ。石油専焼にはせなんだのか。」

「昨年着工しました、改朝風級の野分以降は、重油専焼となります。ですが何分、巡洋艦以上は大食らいですので。」

「備蓄と供給がまだ足らぬか。致し方あるまいのう。」

柚宮のつぶやきに、村上も苦笑を返した。

装甲巡洋艦の更新はしておらぬようだが。」

「ええ。一等巡洋艦はしばらく作らない予定です。巡洋戦艦を作った方が良いと判断しております。」

「装甲が薄い点は問題ないのか?」

「いえ、実のところ筑波では安芸ほどではありませんが、ほぼ対応防御を施しております。つまり、自艦の攻撃には通常の交戦距離であれば耐えることが出来ます。その分備砲が少ないですが。」

「敵艦隊の鼻先に食らいつくのが目的であれば、速力と耐久力はそれなりに必要となるか。」

「ご明察です。」

「姉様、淳宮は良く分かりません。」

「ふふ。妾が説明してやろう。」

柚宮は、近くに控えていた侍従武官*3に命じて、図面と艦船を模した駒を用意させる。

「よいか、淳宮。此方が敵艦隊、此方が我が方の巡洋戦艦戦隊じゃ。」

駒を使った海軍戦略の講義は一時間に及んだ。潜水艦や索敵航空機まで使った柚宮の方法論は、実のところ海軍首脳部の目指す国防の内容そのものであった。

その場に立ち会った者達は、まことしやかに囁かれる噂の真相を知る思いであった。噂に曰く、『柚宮様は姫将軍だ』と。


場所を横須賀に移して、柚宮はさらに説明を受けていた。淳宮は既に皇太子一行と共に東京へと帰途についている。鎮守府の一室にいるのは、軍事参議官である東郷平八郎海軍大将や山本権兵衛海軍大将、あるいは海軍大臣・斉藤実海軍中将などの重鎮ばかりである。

そして、その中心にいるのは一人の女性型擬体。

「夕顔、今後の建艦計画を聞こうではないか。」

柚宮の問いかけに、夕顔ことはつせ004は微笑んだ。

「まずは、他国の状況から分析いたしましょう。」

世界のド級戦艦建造状況
国名弩級以前弩級1909弩級1911弩級1914
イギリス43513(20)
ドイツ22011(18)
アメリカ2508(14)
フランス2300(3)
ロシア504(8)
イタリア1000(2)
オーストリア900(4)
日本4810(16)

「表に一目瞭然ですが、英国はドレッドノートを建造することで自らの優位を捨ててしまいました。そして、今世界でもっとも強力な海軍を保持している国は大日本帝国です。」

「仮初めの優位であろう。」

「確かにそうですが、それでも可能な限り第一位の海軍と対抗しうるだけの数を保持する必要があります。今なら、今だけはそれが可能ですから。」

「それが、1914年の16隻という数字か。超弩級じゃな。」

「あくまで計画ですが。周防級四隻及び金剛級四隻の建造を考えています。既に設計の大枠は決まっており、今年の予算が承認されれば来年中には全艦起工します。」

「その八隻の要目はどうなっておるのじゃ。」

「こちらをご覧下さい。」

戦艦周防級:周防、丹後、伊勢、山城 4隻

常備排水量:33000t 全長:216m 全幅:32m 喫水:9.2m

機関:蒸気タービン4軸 117000hp

速力:27ノット

兵装:45口径36cm砲3連装4基12門、50口径15cm砲連装8基16門

巡洋戦艦金剛級:金剛、比叡、榛名、霧島 4隻

常備排水量:31000t 全長:223m 全幅:31m 喫水:9.4m

機関:蒸気タービン4軸 142000hp

速力:30ノット

兵装:45口径36cm砲3連装3基9門、50口径15cm砲連装6基12門

「この後には、40cm砲搭載の加賀級と天城級も計画していますが、そちらは何分不透明です。」

「欧州大戦次第、じゃな。」

「仰るとおりです。」

「戦艦ばかり造ってもあまり意味がないと思うのじゃが、致し方あるまいのう。大戦後の世界を米英と三分するに足る発言力は、戦艦無くして得られまい。」

夕顔との対話が終わると、柚宮は溜め息をついた。

「ところで、空母はないのか。」

柚宮は、周囲に居並ぶ軍人たちを見回す。一人、頷きを返したものがいた。海軍軍令部第三部長の秋山真之海軍少将だった。

「まだ、正式に航空母艦としては運用していませんが、若宮と龍宮が"こうのとり"を試験運用しています。どちらもまだ登録は実験船ですが、近いうちに偵察航空母艦として正式化する予定です。」

「早くものにして貰いたいものじゃ。」

「私もです。」

既に、陸海軍に加えて第三軍として空軍の設立は、国家の方針として決まっている。それをもっとも力を入れて後押ししているのは、陸海軍の情報系将校であった。秋山然り、陸軍参謀次長の福島然りである。彼らは、偵察こそがもっとも価値のある航空兵力の運用であると考えている。空母に求められるものも、まずはそれであった。


「陸軍も、近い、うちに、見ねば、ならん、な。児玉の、爺が、そろそろ、実戦を、積ませた、方が、良いと言って、いた。……その前に、新編師団を、実際、に、見て、おきた、いの、じゃ……。」

帰路、馬車の中で柚宮は呟いた。その声は襲い来る眠気に必死に抗っていたが、その抵抗が空しいものであることは、彼女に付きそう藤乃の目には明らかであった。

「そうですね。夏に富士総合演習がありますのでその時にでも。」

小さい少女の身体にショールを巻き付けてやりながら、藤乃は微笑んだ。



>第三章 2

*1:はつせ1024

*2:はつせ1010

*3:及川古志郎海軍大尉