はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1906-07-11 Wednesday はつせの世界 第二章 9

第十二代内閣総理大臣西園寺公望は自他共に認めるリベラリストである。

万世一系の天皇の下、臣民が選出した議員が議会を成し、議会の代表たる内閣が天皇を補弼する。民意と良識に基づいた立憲政治こそが彼の理想であった。

その点から鑑みれば、今彼が目の当たりにしている集会などは不健全の極みと言える。

「議院内閣制と普通選挙の実施。これだけは何としても譲れない。」

「普通選挙は時期尚早だ。産業労働法ならば何とか通すが、選挙は制限納税額を緩和するのみに止めておくべきだ。」

「産業労働法は治安警察法と抱き合わせでなければ賛成できませんな。」

「普通選挙の代わりに、衆議院には憲法改正案の枢府上程権をつけてやる。それで納得しろ。」

「枢密院から、戒厳布告権と条約批准権を内閣によこすんならそれでも構わんよ。」

侃々諤々と互いの主張を綱引きする男達は、明治の治世を代表するいずれ劣らぬ権勢家だが、冷めた目で見つめる西園寺にとっては、ある種野良犬の喧嘩に見えなくもない。中身がどれだけ重要な案件であっても、互いの利のために争っているのであれば餌を前に吼え合っているのと大差はない。なにより、国の基本方針を、法の裏付けもない密室で決めようというのが気にくわない。

……現今の状況では、それを言っても詮のないことは良く分かっているのではあるが。

浜離宮の一室に集まっている人間は総勢一二名であるが、そのうち大いに口を開いて言葉を戦わせているのは四名。内相・原敬、前内相・清浦奎吾、そして犬養毅尾崎行雄。ここに集まった人間の中では若輩であるが、その分元気が良いと言うことだろうか。

「各論はともかく、まずは基本事項を確認しましょう。」

機を見てじっと黙っていた西園寺が口を開くと、これまで猛然と議論を交わしていた四人は、息をつく間を与えられて不承不承頷いた。

これまで黙って様子を見ていた、他の人間にも視線を向けると、全員が首肯して同意を表した。なお、先の四人の論戦をじっと見ていた年嵩の彼らは、伊藤博文井上馨松方正義山県有朋板垣退助、大隈重信、そして前首相の桂太郎という面々である。

新聞社の人間に嗅ぎつけられたら、まさに野合と誹られかねない会合であった。

「まずは憲法改正。ここの眼目は、議院内閣制の明確化、首相権限の強化、軍に対する文民統制の確立、大本営と帝国最高参議院の常設化。加えて、憲法改正手順の明文化。これでよろしいですな。」

現役の首相としては口に出すのが憚られるような内容もあるが、西園寺はその点を割り切って言う。そもそも、有力者の密談で国家の根本を変えようというこの集まり自体が、既にして口外すべからざる存在である。今更なにをか況や。

「方法に意見はあるが、総論として異論はない。」

板垣が、いかにも硬骨の古強者らしい同意の仕方で賛意を示した。

「また、これは憲法に明記することではありませんが、議院内閣制を有効に機能させるために超然政治を終わらせ、大政党による議会運営を基盤とします。」

これにも、それぞれ言い分はありそうだが概ね賛意が得られる。

伊藤、西園寺、原はもとより政権与党の政友会を代表しており、井上馨も一歩距離を置いているものの政友会に近い立ち位置を示している。その主張は、国際協調と自由貿易である。

山県、桂、清浦は、かつて明確な超然主義者であったが、今や新党・同志会を立ち上げて政友会と対決することを明確にしている。もちろん、議会政治の枠組みの中で。帝国主義的な海外植民地獲得と国内産業保護を掲げる彼らは、政友会と比べより保守的であると言える。その首謀者から長州閥的な印象が強いが、松方正義加藤高明なども取り込んでおり、藩閥色を薄めようとしている。

最後の集団は、かつて隈板内閣として政党政治をリードした者達、そして今まさに帝国議会の中でもっとも活動的な者達である。板垣、大隈の二枚看板に加えて、犬養、尾崎といった若手の議会政治家が加わる。通称は大自由党だが、大隈が首班となることから改進党の名前を復活させる見通しとなっている。いささか呉越同舟の趣もないではないが、自由民権的、あるいは革新的なスタンスで合同することが大枠で同意されている。片山潜のような議会政策的な社会主義者の取り込みも視野に入れているようだが、その点ではいささか先行き不透明である。

いずれにしろ、今後の議院内閣制を支えるのはこの三大政党であるという、ある種八百長的な合意が出来つつあった。

実力者による合意を形成するやり方は、西園寺は心情的に好まなかったが情勢が情勢であるためやむを得ないと納得した。また、尾崎行雄は当初明確に「前時代的な寡頭政治」であると非難したが、元老達の説得攻勢と「議院内閣制確立」という大目的のために不承不承ながらも承諾したという経緯がある。「至上の処世術は、妥協することなく適応することである。」と言うが、尾崎も西園寺と同じく『適応した』と見なすべきだろう。


政体革新の必要性を最初に指摘したのは、これまで政治とは全く無縁と見られていた男、海軍中将・日高壮之丞であった。

『はつせ』駐在武官として赴任した日高であるが、彼は有り体に言えば暇であった。

兵器の技術情報収集を目的とした伊集院五郎、海軍戦略を主眼とした加藤友三郎秋山真之、あるいは日本の国際戦略を『未来史』の中に探る使命を帯びた児玉源太郎など、他のはつせ乗り込み要員は明確な主目的を掲げていた。しかし、日高はとくにはっきりとした使命を帯びていたわけではない。かといって、別世界とはいえ『未来の知識』に触れる機会があるのだから遊んでいてはもったいない。ロシアとの決戦を前に常備艦隊司令長官を外されはしたが、彼とて無能だったわけではない。むしろ、平時の勤務では東郷平八郎よりよほど優秀であったのだ。

日高は、まず他の人間が目を付けない分野は何か考えた。

未来技術の獲得、あるいは軍としての戦略は、伊集院や加藤や秋山、あるいは渋沢男爵が血眼で『発掘』している。今更彼が割り込む余地はない。

世界的な大きな視点からの戦略は、児玉源太郎の独壇場である。非常に大きな分野であり、一人の人間には手に負えない、あるいは他の人間の視点を必要とすることもあろうが、それはやはり加藤や渋沢男爵が補完している。

では、もっと小さな視点。例えば近未来の有用な人材を発掘するのはどうだろうか。あるいは、自分を含めた周囲の人間が、別世界の近い未来でどんな経緯を辿ったのか。大いに興味のあるところだ。

日高は、海軍の主要人物や現在の著名人などの足跡を辿ってみることから始めたが、すぐに壁にぶつかった。評伝はやはり歴史の中の個人に焦点を当てて書かれているだけに、周囲の経緯を追いかけなければその人物が置かれた『状況』を理解できないのだ。分からない用語や事件があれば、いちいちそれらを解説した別の資料を当たらなくてはならない。

幸い、『はつせ』にはWikipediaという名の膨大な電子百科事典が存在していた。さらには、膨大な資料をわかりやすく引きながら解説してくれる司書AIも存在する。そして、日高は図らずも、日本近現代史を詳細に知ることとなった。そして、一つの見解に至る。

大正政変、統帥権干犯問題、あるいは満州事変に始まる一連の大陸問題。それらに共通して見えるのは、要約すると政治が軍を掣肘できない、いや、正確には軍による政治への介入を阻止することが出来ない体制の問題である。これは、元勲・元老が十分な権勢を持っている間はその軛によって明らかにはならなかったが、憲法に明示されていない元老の権威が無くなり、議会と内閣と軍をつなぎ止める存在が無くなれば否応なしに直面する構造的問題なのだ。

有為な未来の人材を物色しつつも、日高は次第にその思いを募らせた。この根源的な問題をどうにかして解決しなくてはならない。しかし、彼は政治家ではないし、山本や加藤のように将来的に政治に関わっていく事もないだろう。誰かにこの仕事を託さなくては。


結局、日高は元老たちにこの問題を委ねた。

伊藤博文山県有朋井上馨松方正義に加えて、新たに招聘された大隈重信、板垣退助たち六名の元老は、再び政体を変革することを選択した。これまでの『超然主義か議会主義か』といった争点は早々に収斂させ、より現実的な問題へと取り組む事が出来る政治体制へと舵を切らなくてはならない。そのための改憲であり、そのための三大政党制なのだ。

「新たな政体の大枠を作るところまではこの場で決めなくてはならないでしょう。ですが、政策論争を行うべきは帝国議会です。」

それが議会政治というものです。西園寺が言葉を結ぶと、それぞれに不満を残しながらも一応の同意が得られた。

農地改革、労働法整備、社会保険・医療保険制度、そして普通選挙。それらの重要課題は、新体制が解決するべき課題とされたのだった。


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