はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1906-05-15 Tuesday はつせの世界 第二章 7

絵鞆半島の舳先、測量山の麓には、絵鞆要塞および室蘭要港部の施設としていくつもの建造物が立てられる予定だが、今のところ立ち並ぶのは地固めの土場打ち柱や杭打ち櫓などばかりでほとんど建物らしきものはない。既に建造されているのは、将来の要港部司令所として予定されている黄レンガの二階建て建造物だけである。

その建物の二階の一室で、彼は窓から見える室蘭港の景色に見入っていた。5月ともなると、流石の北国も春めいた景色に様変わりしてくる。鷲別岳の裾野には緑が萌え、日に日に暖かみを帯びる春の海風が若葉の緑を揺らして駆け抜けていく。手前にはいくつもの建設用櫓が建ち並び、午後の麗らかな日射しに槌の音が忙しなく響いている。

すこしばかり騒々しくはあるが、春らしい活気に満ちた風景である。詩情に誘われて、何か帳面にしたためたい気分だな。

……この大声さえなければだが。

「まずは航空機だ!」

「いいえ、なんとしても砲熕能力の向上が急務です。」

「それよりも、防御構築の技術研究が先でしょう。」

その無粋な声の主達に目を転じる。

まだ微かにニスの臭いが残る真新しい居室は、既に随分と生活感が滲んでいる。そもそも、男性士官用の客室として作られたこの部屋は、この一月の間に彼、大日本帝国陸軍騎兵監・秋山好古少将の仮住まいの場となっていた。秋山自身、それほど衣食住に頓着しない気質の持ち主であるため、着衣や書物が無造作にあちこちに積み上げられてたりする。乱雑とまでは行かないが、あまり整理整頓の行き届いた部屋とは言えない。

その彼の部屋で、子供のようにわあわあと言い合っているのは、皆いい年をした陸軍高官ばかりである。一人は東洋一の髭の持ち主である近衛教導師団長・長岡外史中将。今一人は日露戦争の主力兵器たる三十年式歩兵銃の産みの親、技術審査部長・有坂成章少将。最後の一人は秋山の同僚で同期にあたる工兵監・上原勇作少将。

彼らは、色々と理由を付けて秋山の部屋に入り浸っていた。その理由は、部屋の一角に設けられた畳敷きの小座敷と火鉢である。畳も火鉢も、殺風景な部屋が居心地悪くて秋山が近隣の農家から譲って貰ったものだが、どうやら一緒に陸軍高官を3人もつり上げてしまったようだ。

彼らは、いつものように勝手に人の部屋に上がり込むと、さも当然のように火鉢を囲んで談笑していた。しかし、話題が明日の会議の話に及ぶと、次第に熱を帯びた会話は声高になり互いの主張をぶつける一触即発の気を帯びてきた。

「で、秋山はどうなんだ。」

唐突に、上原は秋山に話を振った。どうやら、互いの主張が平行線になったのを感じて状況打開を図ったようだが、秋山にしてみればいい迷惑である。新しもの好きの長岡にしても、大砲の神様有坂にしても、秋山にとって先輩格であることには違いない。そして二人とも才気溢れる人物だけになかなかの論客でもある。

「私は騎兵畑だから偵察指揮車両を押したいところだが。」

その言葉に反論がくる前に秋山は立ち上がって、三人の目の前の火鉢に掛かった鉄瓶をむんずと掴んで、急須にお湯を注いだ。気勢をそがれた体の一同の前で、湯飲みに茶を注ぎ、そのままがぶりと飲み干す。

「どっちにしろ、どれを優先したところで最終的にどれも必要になってくるのは間違いない。それに方針を決めるのは山県閣下と神田女史でしょうが。」

彫りの深い顔に冷めた表情を浮かべ、肩を竦めてみせると、三人は一様に鼻白んだ顔になった。

「神田女史、か。」

一同、顔を見合わせてげんなりと溜め息をつく。


神田頼子は、この室蘭で"未来技術"に触れる陸軍軍人が最初に出くわす脅威である。

日本国防陸軍第三師団長代行・神田頼子准将(特例昇進)。

カーキ色の軍服に身を包んだ女性将官は、身長一つとっても彼らより大きいばかりでなく、恐ろしく博識であり、未来技術を用いて製造された兵器の取り扱いに習熟していた。

初めてあった当初こそ、緊張して挨拶をとちったりと女性らしい面も見えたが、実務に入ってくると途端に"鬼軍曹"と化した。

長岡は、神田に航空機のメカニズムを習うほかに、飛行士としての訓練も受けた。神田頼子は、女だてらに固定翼機のみならず回転翼機の免状まで持っている。その神田の航空教習はまさにスパルタである。手こそ出ないが叱責罵声は当たり前。危うく自慢の髭を毟られそうになったことさえある。酷いときには10時間連続でシミュレータをやらされたりした。齢49にして二回りは若い小娘に泣かされそうになった恐怖はそう簡単に忘れられない。

有坂は部下の南部麒次郎とともに、神田に主要な砲熕兵器の原理と実際の銃砲の取り扱いを習った。百年以上進んだ技術とはいえ、その原理自体は明治の現在と大きく変わるわけではない。誘導装置などの電子製品や反応弾などの特殊兵器を除けば技術の理解だけは容易であった。しかし、その取り扱いを学ぶ段ではやはり鬼軍曹であった。南部はカール・グスタフの砲口を覗き込んでひっぱたかれたし、有坂も91式携帯SAM改の安全装置を不用意に外してこっぴどく叱られた。"大砲の神様"と呼ばれて浮かれていたわけではないが、55にもなってこんなに叱られるとは思わなかった。

上原にしても秋山にしても、神田には随分としごかれた。重機や戦闘車両の取り扱い、警備陣地の設営方法、あるいは無線や偵察機材の運用など。20歳は若い娘に叱られながらも必死に覚えた。

とはいえ、4人とも決して神田のことを嫌っているわけではない。

神田は自分の知る限りのことを酷く熱心に、時に涙を流して説教するほど熱心に教えてくれた。やり方は不器用であったが、なんとかして技術を伝授しようとする職人特有の熱意に溢れていた。彼ら4人の他にも、近衛教導師団から選抜された若手士官数名(永田鉄山東条英機梅津美治郎ら)や、その他選抜要員として田中義一中佐、土肥原賢二少尉、板垣征四郎少尉、さらには石原莞爾・幼年学校生徒まで。玉石混淆となった生徒達が、26歳の女鬼軍曹にしごかれたのだが、誰一人としてその熱意を疑ったものはいなかった。

また、あまりに厳しいやり口に土肥原少尉が腹を立てて勝負を挑み、足腰立たなくなるまで叩きのめされてからは、その実力を疑う者もいなくなった。

……とにかく、室蘭に来た陸軍軍人は、一人残らず神田に頭が上がらなくなって帰るのが常態となった。


翌日。

山県元帥が臨席する中行われた会議で、近衛教導師団での運用研究分野の優先度が決められた。有坂の機動砲兵研究案、長岡の航空偵察研究案、上原の野戦陣地研究案、秋山の騎兵車両研究案などをさしおいて採用されたのは、南部麒次郎と永田鉄山によって提出された、歩兵部隊装備一新研究案であった。

「神田君、やはり歩兵の強化が基本だと思うのだが。」

「そうですね。……小銃フルオート化、各種手榴弾の整備、軽機、機関拳銃または擲弾筒など分隊支援火器の整備、大隊への迫撃砲または歩兵砲装備。あと、小型無線機の装備もいいと思います。」

小銃はM1ガーランドやAK-74のコピーか89式や25式でもいいですし、軽機はMINIMIですかね。5.56mmよりも今の6.5mm有坂弾を使った方が良いですよね。あとの装備も、MP5A12とかSIG P220とか、カール・グスタフとかファウスト5とか、そのまま作れそうなのが多いですよ。軽迫もL16でいいでしょうか。でも、まずは小銃と軽機ですね。」

熱心に資料を検分しながら神田が言うのに、山県は長い顔に好々爺然とした笑みを浮かべて何度も頷いた。

まるで孫を見る祖父の顔だな。

皆がそう思ったが、揶揄してみる度胸のある人間はいなかった。山県は陸軍の大首領だし、神田は怒らせると怖いのだ。

「他の研究案もいずれやらねばならんが、必要機材の調達、特に量産の目処が立たないものは後回しにせざるを得まい。航空機も車両もしばらく先だ。」

山県の言に一理あるのは確かだが、せっかく苦労して習得した技術を使う場がないのはやはり勿体ない。

「どうせなら、車両を使った展開とか、ヘリボーンや上陸戦もやっておいた方が良いですね。これはうちの機材をお貸ししますから。」

「そうか。やるだけやっておくか。」

神田の言葉に再び頷く山県。そして、元帥閣下は一同を見回した。

まさか、この歳でプラトーンやらプライベート・ライアンの真似をさせられるとは。そう思ったのは、やはり秋山だけではなかった。


なお、名称を「6.5mm三十年式実包」から「6.5mm有坂実包」と改められた弾丸は、前年に正式採用された三八式歩兵銃、後に正式採用される四二式自動小銃、四七式突撃銃でも減装薬実包として手を加えられながらも長く使われていくことになる。特に、南部麒次郎が設計した四七式突撃銃は「Arisaka Rifle Type 47」として世界に知られることになるのだが、それは余談である。


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