はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1906-04-18 Wednesday はつせの世界 第二章5

三宅坂参謀本部の一室。

まだ寒気の残る時期であるが、陽気は確実に春めいて暖かみを増している。

本来、大図面を広げて図上演習や作戦検討が行われる大きな部屋には、総勢17名の人間が勢揃いしていた。

軍服の男達が大半であるが、背広姿や紋付き姿の官人も少なくない。

陸軍軍人が4名、海軍軍人が5名、そのほか内務省と外務省の高官が3名づつ着席しており、陸海軍にはそれぞれ1名ずつの尉官が随行している。

時計の針が午後一時をさすと、陸軍の制服に身を包んだ小柄な壮年男性が、座長として口を開いた。

「では、定刻になりましたので始めましょうか。」

坊主頭にごま塩髭。元々ぎょろりと鋭い視線の持ち主だが、最近はいくらか肉付きが良く血色が良くなったせいか、幾分"丸く"なったと噂されている。

児玉源太郎陸軍大将、54歳。先日、長期療養から復帰して参謀総長に補されたばかりである。

その横には、日焼けした丸顔のこれまた小柄な軍人が控えていた。こちらは、児玉の復帰と時を同じくして参謀次長に就いた福島安正陸軍中将である。満州軍参謀から横滑りしてきたわけであり、この人事は福島が児玉の補佐役として信任を得ている証左である。

福島が目配せすると、後ろに控えていた若い少尉がカバンから大部の資料を取り出し、全員に配り始めた。

「手伝いましょう。」

参謀本部の下っ端らしき少尉が一人資料を抱えて配り始めるのを見ると、海軍の出席者の後ろで控えていたやはり若い中尉が、すぐに歩み寄って申し出た。軍人には丸刈りや短く刈り込んだ髪型が多いのだが、この中尉は豊かな長髪をゆったりと分け、まるで役者のような伊達な立ち姿である。

「この書類は極秘文書だ。私が責任を持って配る。申し出はありがたいですが。」

土肥原が生真面目な態度で断ろうとすると、後ろから福島が声をかけた。

「土肥原少尉、手伝って貰いたまえ。彼も会議に陪席することを許されているのだ、書類に触れても問題なかろうよ。」

「は、はい、閣下。」

4月11日の編成で参謀本部付となった土肥原賢二陸軍少尉は、まだ雲上の存在である福島や児玉に慣れるところまで行っていない。まごつきながら返答を返す。

一方、声をかけた海軍中尉は、福島の横で眠そうに座っていた陸軍少将に声をかけられていた。

「悪いが手伝ってやってくれないか。えーと、君は。」

「海軍軍令部附、米内光政海軍中尉です。よろしくお願いいたします、明石閣下。」

脇のしまった海軍式敬礼が実にスマートである。

「参本二部長の明石だ。よろしくな、米内君。」

苦笑しながら挨拶を返したのは、刷新された参謀本部の第二部長となった明石元二郎であった。彼は、欧州から呼び戻されて復命後、異例の昇進で少将に任じられ、陸軍の情報業務を一手に握る参謀本部第二部長を命じられていた。

土肥原と米内が手分けして資料を配付し終わると、各員の紹介が始まった。

この会議に公式の名前はない。ただ「連絡会議」とだけ仮称が付けられている。何故なら、この会議は非公式の打ち合わせであり、記録を一切残さない事になっているからだ。また、会議の決定すべき内容は事前に主たるメンバー間で合意しており、すべきことは確認に過ぎない。

いや、この場で"あれ"について知らない数名には十分に意味があるか。

海軍代表として、あるいは児玉率いる"一味"の一員として出席している島村速雄は、全員の顔を見回しながら心中で呟いた。

「まず、パリから先ほど届いた情報ですが。」

明石少将が手元の書類に目を落とす。

「スペイン・アルヘシラスの会議で、独仏交渉は妥協に達しました。フランス側の譲歩も幾分あったようですが、概ねドイツが手を引かされた形となりました。ドイツもフランスも、国境付近の動員は解除したようです。」

明石の手元にある電文は、明石が欧州に構築した諜報網からもたらされた物だ。その暗号は、明治38年末に急ぎ実用化された機械式暗号換字装置「明治三十八年式換字機」で符号化されている。その正体は、はつせから提供された情報で真っ先に実用化されたエニグマ暗号の改良型、より正確には史実の三式換字機(グリーン暗号)そのものである。

この1月にフランスへ向かって運ばれた携帯用換字機の、これが初の運用となった。

明石によって構築された欧州の情報網は、後任の手によって今もなお継続的に拡大を見せている。しかしながら、欧州以外、特に南北米大陸や清印度の情報網はお世辞にも優れているとは言い難い。全世界的な情報収集網の整備が、児玉と福島によって命じられた使命である以上、明石の課題はまだまだ大きい。

「ひとまず、独仏間の危機は回避されたようですな。」

「ああ、予想通りではあるが。英仏が手を組んでいる以上、いかな大ドイツと言えども、そう簡単には植民地を横取りとは行かないだろう。」

西園寺内閣で再び外相に就いた加藤高明と、新内相の原敬の間で現状の確認が始まる。これもまた、筋書き通りの会話である。

「今回ドイツが手を引いた、いや、引かされたのがどんな影響を残すか、気になりますね。」

「カイザーがこれで諦めるとは思えんな。バグダッドか、それともカサブランカか、あるいは北清かフィリピンか。どちらへ打って出ても大国とぶつかる。このままドイツの躍進が続けば、いずれ欧州で事は起きるだろう。」

現職の外務大臣を差し置いて、内務大臣の原が予測を口にするのは、軍人達には些か違和感のある光景であるが、かつて外務次官を務めて外務省を牛耳っていた原である。今でもその隠然たる勢力から十分な情報を得ていることは公然の秘密と言っていい。西園寺内閣は実際のところ原のための内閣だとさえ言うものが居る。そしてそれはあながち間違ってはいない。

原の言う国政情勢は、このところ大きく変動し始めていた。

最初のきっかけは日清戦争である。この結果、日本は朝鮮に対する宗主権を手に入れたかに見えたが、三国干渉によってロシアの南下政策との対立が始まる。

ロシアの南下政策ともっとも利害が対立するのは英国であり、英国と日本の利害は一致する。そこで日英同盟の登場となるが、この同盟は、世界最強国として『栄光ある孤立』『二国標準主義』を標榜してきた大英帝国が、ロシアの台頭に対して同盟を組まねばならないほど危機感を覚えた証拠でもある。英国は、今もって世界最大の帝国ではあるが、決してその足下は盤石ではない。

続いて、ファショダ事件をきっかけとして英仏が接近。さらには日本との戦争で満州を失い東方進出の希望を絶たれたロシアが欧州政局に復帰する。ドイツの高まる経済発展は、ロシアにとっても脅威となり始めている。

そして、アフリカにおける植民地再配分を目指すヴィルヘルム二世は、フランスと対立。1898年に開始した艦隊建設によって大英帝国とも対立を深めている。この度起きたタンジール事件は、この対立の火に新たな油を注いだ。

この大きく変化する流れの中で、新興列強各国がどうしたかと言えば。

アメリカはあくまで孤立主義を取り傍観。日露交渉の仲介を取るなど存在感を持ち始めてはいるが、未だ列強外交の軸とはなっていない。

イタリアはビスマルク体制のまま独墺と組みつつもオーストリアと領土問題で対立。フランスとの接近の兆候も見えている。

日本は日英同盟を更新し、明確に英国支持を打ち出しているものの、未だ不平等条約の改正や膨大な外債など難問が山積している。列強の一角と目され始めはしたものの、存在感はまだまだ希薄だ。

「英仏対独墺、ロシアとイタリア、アメリカと我が日本。役者は揃った感がある。」

「英国はドイツと衝突する以前にロシアを取り込もうとするでしょう。ロシアも弱っている今、英国と衝突するのは避けたいはずです。露仏同盟と英仏協商が、いずれ英露間の同盟に発展するやも。いずれにしても、露仏同盟が健在である限り、ロシアは独墺とぶつかる可能性が高い。」

原の言葉に、じっと考え込んでいた東条が分析しながら口にする。なお、原や加藤と違って、東条はまだ"はつせ"の存在を知らない。あくまで与えられた情報を咀嚼して推論しているにすぎない。

その予想外に正鵠を射た発言に、冷や汗を掻いた者達は急ぎ結論を口にした。

「同盟関係がハッキリすると、突発的な小事件が大事に発展することもあり得ますな。欧州の情勢は、逐一把握することにしましょう。」

「当面は陸軍の明石機関に頼ることにしますが、外務省での情報収集も強化しなくてはなりませんな。」

「海軍の諜報網も強化させます。陸軍とは異なる視野の情報が入ってきますからね。」

順に、明石参本二部長、内田外務次官、秋山軍令部三班長である。この三人が、実質的な情報収集と分析の担当者となる。

「ゆくゆくは、陸海軍の情報収集部門と分析・戦略立案部門を統合し、大本営外局として独立させる予定だ。最高参議院でも許可が出ているから、年内には準備に入る。参謀本部の第二部および第四部、海軍軍令部の第三部と第四部の一部は、いずれ大本営諜報局として活動することになる。」

「外務省からも出向という形で参加することになりますな。」

児玉がまとめると、小村が頷きながら付け加える。小村は駐米大使への転出が決まっているが、実質的に加藤と交代で外務大臣を務めることになっているだけに、外務省へ情報がきちんと渡されるかどうかを気にしていた。

「重要情報は外務省にも当然渡るようにします。相互の情報交換に齟齬がないようにしませんとな。」

小村を始め外務省組にも目配せをする。

「防諜については、当面内務省管轄で専任の警察組織を立ち上げてもらうことになりますな。秘匿情報の漏洩は致命傷になる以上、徹底的な防諜体制を作らねばならない。いずれは内閣外局として独立させるべきでしょうな。これは、清浦さんにお願いします。」

児玉が会釈すると、清浦奎吾は泰然と頷いた。清浦は山県系長州閥の代表的政治家であり、内務畑、特に警察に対しては強い影響力を持っている。この男を外して防諜は成立し得ない。

「海外でも、必要とあれば動かせるように組織しますよ。」

そう答えたのは内務次官の後藤新平だ。彼は台湾時代からの児玉の腹心の部下と言っていい。清浦、原、後藤の三人は、その政治的背景は違えども、当面の問題について望みうる最高の担当者と言えるだろう。


児玉の発言通り、陸海軍、その後外務省からも人材が投入され、大本営諜報局改め国務諜報院が設立されるのは翌々年、明治41年(1908)のこととなる。この組織は、『National INtelligence agency of JApan』という誤訳から、海外では通称『NINJA』と呼ばれることになる。

また、内務省の中に設けられた防諜警察隊は次第にその規模を増し、明治46年(1913)に特別公安警察と改組されることとなる。


さて。この会議を、緊張した面持ちで注視していたものと、傍目から面白そうに眺めていたものが一人ずつ。

方や、やがて世界でもっとも危険な人物として知られる男、土肥原賢二。方や、やがて首相にまで上り詰めることとなる男、米内光政。この二人組はいずれ、世界を股にかけた活躍をすることになるが、それはまだ少し先の話である。


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