はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1906-01-06 Saturday はつせの世界第2章 3

東経141度00分、北緯42度20分。

大きく湾を抱くように西に突きだした絵鞆半島は、内浦湾と太平洋の境目で荒れる潮風に晒されている。

標高199mの小高い山、測量山から見下ろす室蘭湾には、21世紀には存在する白鳥大橋も無く、埠頭も申し訳程度の岸壁が作られているに過ぎない。

雪に覆われた斜面を4人の人物が踏みしめ上ってゆく。

「この山からチキウ岬に掛けて、補塁と連絡線を繋いで要塞化する。絵鞆半島の南東側は断崖を利用して砲を配備し、絵鞆岬にかけては縦深陣地化した要港本部施設を置く。山の下には坑道を掘って、行く行くは大深度地下施設も設ける。当面は、要塞砲の設置と監視部隊の常駐だけだがね。」

先頭の小柄な老人は、眼下に広がる眺めを睥睨しながら説明する。天候こそ幸いにして穏やかだが、新年を迎えたばかりの北海道は決して暖かいとは言い難い。しかし、白い髭を蓄えた細面の頬には年齢を感じさせない血色が通っている。背筋も伸び、数えで69にも成る人物とは思えない。

「港湾部は海軍と松岡君*1で立地を検討しているが、湾のモルラン山側に船渠と製鉄所を作ることになるだろう。絵鞆要塞とは鉄道で連絡する。飛行場はその右手奥になるだろう。」

その何とも捕らえどころのない風貌に、珍しく意気軒昂とした熱意をみなぎらせて解説するこの人物は、誰あろう大勲位菊花大綬章・侯爵・帝国陸軍元帥にして元老である山県有朋その人である。

「兵の配備は一個師団程度とのことでしたな。どちらを持ってくるおつもりですかな。」

その後ろに、威風堂々とした風采で従う男。やはり濃紺の軍服にコートを重ね着している。何より目立つのは、顔の両側に大きく突きだしている巨大な髭だ。その見事な造形は、どこかブーメランを想起させる。後の世の子供であれば、「マジンガー」「ターンエー」などというフレーズを思い出したかもしれない。

「新編の十三師団か十四師団辺りから二個連隊ほど持って来る。それに、近衛から二個連隊を抽出して新編師団をでっち上げる。所属は新設の近衛軍直轄になる。名前は……『特設近衛師団』とか『近衛第二師団』とかそんな感じだ。君が師団長だ。好きに名前を付けたまえ、長岡君。」

「では、『近衛教導師団』としましょうか。」

髭を撫でながら男、長岡外史陸軍少将が答えると、山県はニヤリと笑みを返した。

「その通り。陸軍の兵制改新を教導する師団だ。君にしか出来ん。」

「はっ。大船に乗った気でお任せ下さい。」

吹きすさぶ海風の中、なぜか高らかに哄笑する二人の陸軍将官。

その、何とも言えない珍妙な風景をじっと見守る二人。

かたやまだ若い少尉である。彼は3日前に近衛軍総監を兼務する山県の副官として突然歩兵第三連隊から引き抜かれてきた男である。

陸軍歩兵少尉・永田鉄山、21歳。数日後には22歳になる。

平然と、あるいは冷然とと言うべきか。

遙か雲の上の人であるはずの元帥と少将(近々師団長になるそうであるから中将に昇進するだろう)の会話にも、取り立てて心を動かされた様子もなく、表情一つ変えない。

実は突然元帥閣下に呼び出されて列車に乗せられ、この北の地までほとんど説明らしい説明もなく同行させられたのだ。しかも、山県以外の同行者は著名人あり高官あり、そして民間人あり得体の知れない服装の女性までいた。これで混乱しないわけがないが、その間永田はひたすら沈黙を貫いてきた。ただ、目を見開き耳を欹てていた。

ある者は胆力があるとして評価し、ある者は鉄面皮として不気味さを感じた。

その心中がどのようなものかは、当人にしか知るよしもないが。

「山県閣下。そろそろ種明かしをして差し上げた方がよろしいのではありませんか。」

黙然と立ち尽くす青年将校の横で、苦笑混じりの柔らかい声が上がる。

灰色にくすんだ背景に、白い軍装とオーバーコートが浮き上がって眩いコントラストを成している。永田とほとんど変わらぬ背丈の女性は、ひゅうが001であった。

「ひゅうが君、彼は陸士を首席で卒業して、卒業談話で陛下にお褒めをいただいた男だぞ。大丈夫、聞くべき事は聞いているさ。」

振り返った山県は、からかうように無表情の永田を見やった。

「いくつか質問させてください、閣下。」

「いいとも、なんでも聞け。ただ、つまらん質問はするなよ。ワシはこれでもお前さんを見込んでいるんだ。期待を裏切ってくれたらこの先出世できんと思え。」

いつになく上機嫌の様子だが、その目は決して笑っていない。

陸軍の重鎮であり、政界における長州閥の雄。一般的な人気こそ無いが、首相の桂太郎満州軍参謀の田中義一、あるいは元農商相・平田東助など、いわゆる「山県閥」として彼に与する者は政官界に多い。その権勢に並ぶ者は同じ長州閥の元老・伊藤博文しかいないだろう。

山県有朋という巨人の前に、陸軍士官学校を出たての少尉など、紙切れ一枚でどうとでも出来る存在に過ぎない。一つ間違えれば窓際暮らしで営門中佐止まりの一生が待っている。内心、竦み上がるものがあるだろう。

しかし、怖れも見せずに永田は口を開いた。

「自分がする仕事は、陸軍の装備刷新に伴う兵制改革でありますか。それとも、国防総省の設立と陸海軍の解体でありますか。」

さらりと、無造作に永田は言い放った。

次第に強さを増した風を前にしても競り負けぬ強さを持ったその声に、山県はニヤリと笑い、長岡はすぐに腹の底から笑い声を上げはじめた。

「わっはっはっ!閣下、こりゃ確かに『末は陸軍大臣』ですな!」

「ふん、陸軍大臣どころで止まって貰っては困るわい。それに、坊主が上に上がってくる頃には『国防大臣』になっているだろう。」

なにやら図に当たった様子の二人に、永田は怖れることなく再び口を開いた。

「陸軍の兵制改革については、早急に私案をまとめたくあります。」

首を振って、山県がそれを止めた。

「そう急ぐな。まずは近衛教導師団の運営を助けて貰いたい。長岡君が師団長。儂が近衛軍総監を務めるが、実質的に近衛教導師団を仕切るのは児玉君だ。そして、教導師団は今後30年の帝国陸軍の戦闘操典をまとめる。恐らく数年かかるだろう。」

山県は、頭にうっすらと積もりはじめた雪を払いながら続ける。

「その戦闘操典を実施できる組織に全軍を作り替え組織する。大日本帝国陸軍を解体し、新たな組織、大日本帝国国防陸軍に作り替えるのが貴様の仕事だ。……いずれな。その頃には儂も児玉君も長岡君もくたばっとるだろうさ。」

苦笑いする山県に、長岡が笑い声で賛同する。

「閣下はそう簡単になくなりませんよ。憎まれっ子世にはばかる、と申しますので。」

「言ったな、こいつめ。」

ひゅうが001の軽口に、山県は目元の皺を深めた。

「閣下、もう一つお聞かせいただきたくあります。」

目で頷く山県に、永田は言葉を続ける。

「なぜ自分なのでしょうか。失礼ながら、児玉閣下や長岡閣下のように、自分は長州出身ではありません。また、この責務をお任せいただくに足る実績を、自分は何ら持ち合わせておりません。」

胸を張って問う永田に気後れの色はない。

「出来ない、とは言わんのだな。」

「自分の能力ならば問題ありません。時間さえいただければ。ですが、なぜ自分が抜擢されたか、その理由が分かりません。」

そう問われて、山県は曖昧に笑った。

「出身にとらわれずに眼力で貴様の資質を見抜いた、と言いたいところだが。もちろんそうではない。ある情報に基づいて、としか言いようがないな。」

「その情報とは。」

「今はまだ言えん。察しろ。」

一瞬の視線の交差で、永田は姿勢を正して敬礼をした。質問の時間は終わったのだ。

「了解であります。」

「当面、儂の副官として長岡君との連絡を担当して貰う。」

「はっ。」

観察と質問の時間は終わった。これからは思索の時間だ。


4人が測量山から降りると、人影が一人待ちかまえていた。

「上は寒かったでしょう。あちらに暖かいものを用意してありますので、どうぞ。」

オーバーコートまで純白の女性士官姿、はつせ001であった。彼女は、4人を仮設宿営所へ誘った。仮設と言っても、一応は港湾管理施設の中でもっとも大きな建屋(税関の出張所が置かれている)を臨時に徴発したものだ。

石炭ストーブで暖められた室内には、様々な人間が集まっていた。

海軍の制服を着た男たち。人数は6名。

永田も彼らは一応紹介されている。

海軍大臣山本権兵衛大将。元軍艦千代田艦長で待命中の村上格一少将。海軍軍令部参謀・財部彪大佐。この三人はそれぞれこの室蘭に設営する海軍施設の首脳陣として関わるという。

そして年若い士官が三名。第四艦隊参謀・小林躋造大尉、軍艦高千穂砲術長・末次信正大尉、元軍艦磐手分隊長心得・米内光政中尉。彼らは、言ってみれば永田自身と同じく理由も知らされずに突然呼び出された組だ。

それ以外にも、官民の人間が幾組かに別れて雑談している。

渋沢男爵と歓談しているのは、大倉財閥の総帥・大倉喜八郎だろうか。姿が見えないが、鹿島組の鹿島岩蔵組長とその義理の息子精一や、大阪大林組の大林芳五郎組長も来ているはずだ。

また、組閣を控えて多忙なはずの政官の人間もいる。

紹介されたわけではないが、原敬後藤新平などは有名人であるし、他に清浦奎吾・前農商務大臣の姿も見える。

さして広くもないうらぶれた木造庁舎の中に、酷く豪華でミスマッチな一団が放り込まれている。

三人がストーブに当たって手を炙っていると、扉から冷えた空気が入り込み、人が二人入ってきた。

片方は短く刈ったいがぐり頭の雪を追い払いつつ上機嫌に。年は39歳と言っていたが、30代半ばに見える。小柄だが血色が良く精気が横溢して見える。

その後ろから入ってきたのは、非常に大柄な短髪の女性である。見慣れない深緑の軍服に身を包み、その上からなにやら光沢のある素材の上着を着込んでいる。こちらはあまり表情が冴えない。寒さに唇が青ざめて見える。

「長岡閣下!飛行場の下見をしてきましたぞ!」

先頭の男、二宮忠八が元気な声を上げる。

「おお、二宮君。ご苦労だったな。こっちへ来て暖まれよ。」

それに答える長岡少将も上機嫌である。それもそのはずだ。彼らは飛行機械を使った第三の軍、空軍の設立を任されるという話だ。二宮が航空機とやらを製造し、陸海軍が協力してその研究を行う。永田にとっては些か眉唾物の話だが、どうやら山県閣下も疑ってはいないらしい。

「よし、全員揃ったようだからそろそろ会合を始めようじゃないですか。山県閣下、音頭をお願いしますよ。」

大きな声が響く。海軍大臣の山本だ。

「山本君、君が進めてくれたまえよ。儂は陛下からお目付を仰せつかっただけだからな。しっかり見張っておるから、張り切って進めてくれ。」

「では僭越ながら。」

山本があらためて各員を紹介しはじめる。ここ北海道の辺地に、後に世界最大の軍港となる室蘭要塞の建設が始まった。


>第二章 3.5

*1:松岡康毅。西園寺内閣で農商務大臣を担当。