はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1905-10-16 Monday はつせの世界第2章 1

「私は反対です。東清鉄道は日本の国益において運営されるべきだ。」

席に居並んだ男達は互いに視線を交わした。その中に驚きの表情はない。予想通りの反応を確認した者達の目配せに過ぎない。

「今回の交渉はじつにご苦労でした。ま、ひとまず座りたまえ、小村君。」

横に座る重鎮をひとまず置いて、首相の座に座る桂が丁重に席を勧めた。小村は、自宅による暇もなく首相公邸に談判にねじ込み、そこに桂が居ないと知ると宮内省まで追いかけてきていた。

「とにかく。私は反対だ。ハリマンは食わせ物だ。それに、満州で斃れた日本同胞の犠牲をもって勝ち取った権益に、易々と米国を食い込ませるとは誠に遺憾だ。」

腰を下ろしながらも舌鋒は収めない。恐らく、小村が興奮状態にある理由は横浜からの移動中の出来事に原因があるのだろう。彼が日本の地に足を付けて以降、幾度も群衆にヤジを飛ばされ罵られた。すべて、彼の外交交渉で償金を取れなかったことに対する民衆の怒りの声だ。全力をもって対露交渉に臨み、可能な限りの妥協を勝ち取ったと自負する小村にとってその声はあまりに無情であり、まさに日本という国家の愚かさを示していると思われた。

「しかし……」

「しかしもかかしもない!」

桂の口を封じるように声を荒げる小村。しかし、そこに静かだが決然とした声がかかる。

「米国の口出し無用というのなら、米国資本からの融資も受けない、と考えてもよろしいですか?」

おっとりとした響きであるが、その視線は小村を見据えて揺るぎない。政友会総裁、西園寺公望であった。

「さ、西園寺卿、あなたは閣内の人間ではないでしょう。」

「ですが、あなたの言う日本同胞の一人として、政治に携わる人間の一人として、この重大な決定を見過ごすことは出来ません。」

動揺する小村に西園寺はなおも畳みかけた。

「もう一度うかがいます。ロシアから譲渡された東清鉄道の一部、これの運営資金は現在の帝国財政では賄いきれません。であるからこそ、桂首相はエドワード・ハリマン氏との合弁事業に同意し、既に覚え書きを取り交わしています。もしこの取り決めを反故にするならば、我々は国際的な信用、特に欧米資本家の信用を失いかねません。それに、ハリマン氏は米国政界にも強い影響力を持っています。今後、我が国が最大限に動向を注視しなければならない相手は米国です。将来の不都合を避けるためにも、桂首相はこの契約を遵守する方針です。」

歯を食いしばり西園寺を睨み付ける小村。だが、些なりとも怯む様子がないと見るや、その視線を桂太郎に転じた。

「首相。米国でハリマンよりも条件の良い相手がいます。クーン・ローブ商会では東清鉄道の経営に長期融資を仕立ててくれるとのことです。」

それを聞いて、桂は重い口を開いた。

「クーン・ローブ商会には別の事業を支援して貰いたいと思っている。朝鮮の鉱山開発と樺太の鉄道整備だ。」

「しかし!」

「小村君。」

食い下がる小村に、部屋の隅から声がかかった。

「事情はこれから話すが、ともあれ情勢が変わったんだ。ハリマンとの提携は既に政府の基本方針だと思ってくれて良い。議会もそれに賛同するつもりだ。」

「大隈さん、いくら憲政本党の領袖であっても貴方は閣外の人間だ。これは外務大臣たる私の所掌事項だ。」

ここで桂が溜め息をついた。

「とりあえず、一度棚上げにして先に事情を説明した方が良さそうだ。ともかくも、一緒に来てくれ。」

興奮した体の小村を連れて、彼ら一同は別室に移った。小さな部屋だが、その奥には御簾を垂れた玉座があり、既に待ちかまえている姿がいくつもある。

元老たち、陸海軍の首脳陣、閣僚と主立った議会政治家達。

それは、現在の大日本帝国を運営する実質的な首脳陣そのものである。

そして、見慣れぬ制服姿の女性が三名。

「お待ちしておりました。では、始めましょう。」

小村が苛立ちと戸惑いの表情で案内された席に腰を下ろすと、間髪入れずに部屋の照明が落ち、そして眼前にその映像が流れ始めた。


「では、小村閣下への説明もご覧いただきましたしたので。」

白い制服に身を包んだ長身の女性が合図すると、御簾の横に立った田中光顕宮内大臣が全員に起立を促した。

「皆、座れ。」

隣室から平服を召された陛下が入室され、着席された。

「諸兄に集まって貰ったのは他でもない。この異邦の者達を受け入れた帝国の未来を如何にするべきか、ここにいる人間で決めるためである。……伊藤。」

「はっ。では、『第一回帝国最高参議院会議』を開催します。この会議は、陛下の指名に基づき決定された最高参議による会議であり、構成員は元老・閣僚・および参謀総長・海軍軍令部長を主とする。この会議での決定権は陛下お一人にあり、我々はその意志決定の補弼を行う。また、この会議での決定事項および討議内容は外部には厳重に秘匿することが義務づけられる。ここまでに異存がありますかな。」

一座のものからは一様に肯定が返ってくる。もっとも、得心のいった肯定から渋々の肯定まで、温度差はあるが。

「では、まず最初に。帝国の今後50年間の基本方針について討議したいと思う。資料を。」

伊藤博文の指示に従って、白い制服の女性二人が資料を配り始めた。

その資料が手元に届いたときに、やっと小村寿太郎は茫然自失の体から脱出し始めた。

それだけ『別世界の歴史』は衝撃的であった。

「帝国の大方針は『自存自立』『国体護持』『富国強兵』である点については諸君も異論は無かろう。だが、その実施に当たっては様々な方法論と選択肢が存在している。今彼女らが配った資料は、あくまで可能性に過ぎないが、近い将来に起こりうる事態に対してどのような方針を採りうるか、そしてその方針を採った場合にどのような影響が予想されるかまとめたものだ。」

伊藤翁の言葉に触発されるように、小村は手元の資料を見つめ直した。そこには、『対英追従による衛星国化』『英米日三極対立』『世界帝国日本』などの刺激的な字面が並んでいた。


その会議は都合三日間続いた。

御前会議であるにもかかわらず、罵倒の応酬、つかみ合い、居眠り、途中入退室が繰り返されるなど大荒れの会議であったが、それだけの苦役に見合うだけの成果も生み出した。

大隈重信、大山巌、西園寺公望桂太郎が元老に任じられ、元老が主導して内閣が外交内政軍事を掌握する体制を作ること。

英米露協調外交を展開しつつ経済大国としての発展を目指すこと。

大陸権益には適度にコミットしつつも、国内基盤整備と産業育成を重点的に勧めること。

軍事では規模を極端に拡大せずに軍制と兵器開発でリードすること。

そして、最終的には英米日三極鼎立による世界の安定を目指すこと。

明治の帝国首脳陣が出した結論は、大国なかりせば自由も自存もならじという、ごく自然なルールに基づいたものであった。


その日、20世紀の歴史が始まった。


>第二章 2