はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1905-10-05 Thursday はつせの世界第1章 8

「―――大きいな。」

千代田の甲板から初めて『はつせ』を視界内に収めた小柄な男は、絶句したその喉から、ぽつりと一言だけ漏らした。

いささか頭髪が薄くなっており、髪も既に白いものが大半を占めているが、足腰ともにしゃんと伸びており、65歳という年齢を感じさせない。

渋沢栄一

第一国立銀行頭取、日本鉄道会社取締役、東京瓦斯会社会長、帝国ホテル会長、東京石川島造船所会長など、数々の地位を歴任してきた、日本産業界の第一人者である。

実際の物を作る現場から叩き上げてきた彼には、この視界を覆うような巨大な船がどれだけ進歩した技術力に支えられ、どれだけ隔絶した産業基盤によって生み出されたのか、肌で感じることが出来た。

――あのアメリカやイギリスのはるかに先を行く、というのは本当だった。

ほとんど継ぎ目の見えない船腹に、甲板に並べられた異形の機械群。そして煙も立てずにするすると近寄ってくる艦載艇。それが百年以上未来の産物と言われれば、素直に信じる他はない。アメリカの政財界にコネクションを持つ彼であればこそ、これがどれだけ現実の技術を凌駕しているのか理解できる。

体調を崩して長期療養をしていたため、幸か不幸か手がけた仕事は概ね彼の手を離れていた。文字通り、渡りに船とばかりに彼にこの"留学"を進めてくれた井上馨に、素直に感謝せずにいられなかった。


大型の艦載艇で千代田から運ばれた人々は、艦尾デッキから『はつせ』に乗り込んだ。

そこには、濃紺と金モールで飾られた礼装に儀礼刀を帯びた二人の女性士官と、カーキグリーンの礼服に身を包んだ男性士官一人が待ちかまえていた。

女性乗組員たちの手を借りて艦載艇から全員がデッキに上がると、女性士官の一人が折り目正しく敬礼をして客人を迎えた。

「皆様、日本国防海軍『はつせ』へようこそ。臨時指揮権を保持しております、副主幹擬体の"はつせ002"と申します。本艦を代表して皆様を歓迎いたします。」

大日本帝国海軍から日本国防海軍への出向を命じられた、駐在武官長・日高壮之丞です。これからご厄介になります。」

客人一行もそれぞれ敬礼や帽子を取って礼を返す。

「お連れの皆様をご紹介いただきたいところですが、ここはすこし風が強いですので、まずはレセプションルームへご案内いたします。こちらへ。」

はつせ002に誘われて一行は移動を始めた。


艦内へと誘われる人々の最後尾にいた小柄な人物が、立ち止まって身近にいた擬体をマジマジと凝視していた。

「そなたら。女にもかかわらず水兵をしておるのか?」

好奇心故か、零れそうなほど目を見開いた柚宮は、一行からはぐれるのもかまわずに立ち止まって質問を投げかけた。

「私に質問ですか?」

答えた擬体は、キュロットタイプのセーラー服を着ている保安課のAIだった。胸のLEDプレートには"はつせ1024"の文字が浮かび上がっている。

「そう、そなたじゃ。そなたらの軍隊では、女でも兵士になれるのか?男達は何をしておるのじゃ?」

心底不可解だと目で訴えながら、柚宮は小さな拳を腰に当てつつ尋ねた。

さて。どう答えたものか。

はつせ1024は、いつになく真剣に思案しつつも困惑した。

AI達は通常、プレトレーニングによって社交的で積極的なコミュニケーションを好むように調整されるが、保安要員に関しては必ずしもそれらの傾向は重視されない。むしろ、戦闘に適した判断能力と価値基準の明快さが求められ、自己主張やコミュニケーション能力はそれほど求められない。

つまりは、保安担当AIである"はつせ1024"は沈思黙考・不言実行型のAIであって、当意即妙な受け答えなどは得意としていない。特に彼女は、保安課でもひときわ無口なAIであった。

気の利いた返答など出来そうもない。そう見切りを付けたはつせ1024は、バカ正直に真っ正面から答えることにした。

「私たちは女性型を採っていますが人間ではありませんので、ご質問の主旨に的確にお答えできるか分かりませんが……」

「人間ではない?どういう意味じゃ?」

「私たちは擬体、あるいはアンドロイドと呼ばれる存在です。人を模して作られた機械仕掛けの人形と申し上げたらよろしいでしょうか。しかし、擬体というのはより正確には体のみ……」

「なんと!そなた機械仕掛けなのかっ!とてもそうは見えんのうっ!」

「私たちの体は、この顔にある識別符号以外、外見的には99.98%以上の再現率を達成しております。識別符号が無くなれば、普通の人間が見分けることは出来ないでしょう。とはいいましても、肉体の能力でははるかに人間を凌ぎますので、例えば……」

「ほんに、違いがわからんの。そなたは背が高すぎるゆえ、わらわの国では目立ちすぎるやもしれぬが、異国でなら完全に見分けが付かなくなるであろうな。」

「擬体はいくつか大きさの異なる物を用意しておりますので、任務に合わせて変えることが出来ます。……」

柚宮の姿が見えないことに気づいた及川少尉(彼は、ありがたくも柚宮殿下の臨時侍従を仰せつかった)が迎えに来るまで、はつせ1024はまだ少女とも言えない4歳の幼子に質問攻めにされたのであった。


「殿下、ご心配なく。柚宮様は私どもの部下が保護しております。及川少尉と一緒に後ほどこちらにご案内しますので。」

「ありがとうございます。お願いしますね。裕子さんもいささか元気がよろし過ぎるようでして。」

レセプションルームでは、柚宮の不在に気づいた皇太子が落ち着かなさそうにしているが、はつせ002のフォローで互いの挨拶を進めることになった。

日本国防海軍側は、東京から戻っていない3名に変わって、はつせ002、ひゅうが002、榊玄一郎特務大尉が出席していた。ちなみに、榊はほんの数日前に蘇生したばかりである。彼は御同輩の神田頼子と違って、歴史的著名人を迎えるにもかかわらず全く興奮の色を見せていなかった。

一方、『はつせ』に乗り込んできた顔ぶれは恐ろしく豪華である。

皇室からの表敬訪問者として、皇太子明宮嘉仁親王とその長女柚宮裕子内親王(現在艦内を気ままに散策中だが)。

大日本帝国代表団長兼駐在武官として、日高壮之丞中将。

代表団員として、海軍から伊集院五郎中将、加藤友三郎少将、秋山真之中佐の三名。

陸軍から児玉源太郎大将、石原莞爾陸軍中央幼年学校生徒の二名。

民間人として渋沢栄一男爵。

加えて、柚宮裕子内親王の臨時侍従武官として及川古志郎少尉も一時的に『はつせ』に乗り込むことになる。

「皆様、改めて本艦へようこそおいで下さいました。」

挨拶がすむと、はつせ002から最初の注意事項が示された。

「皆様には、本艦に御逗留いただく間、いくつかの規則をお守りいただかなくてはなりません。これは、本艦が軍艦である関係上、立ち入りや火気の取り扱いを制限する必要があるためです。」

そして、立ち入り制限区域や保安課員の同行が必要な区域、喫煙など火気取り扱い可能区域が立体プロジェクタに映し出された。

「実際には、該当区域に近づかれますと音声等でご注意いたします。安全上の措置にご協力下さい。」

「また、図書や図版の閲覧については、本艦並びに日本国防海軍の機密書類を除いて、原則閲覧が可能です。ただし、艦外への複写物持ち出しは制限させていただく場合がございます。こちらは著作権者保護のための措置です。これについては、艦外持ちだし時に印刷物を我々がご用意いたしますので、お申し出いただければよろしいかと思います。」

そこへ、はつせ1024に先導された柚宮と及川少尉がやって来た。

「では、皆さんお揃いになりましたので、まずは本艦と僚艦『ひゅうが』の解説ビデオをご覧いただきましょう。そのあと、各船室にご案内いたします。」


「しかし、驚きましたな。」

大食堂では、ビュッフェ形式の歓迎会が開かれていた。30m四方ほどの広々としたスペースに、主賓達一行10名では広すぎるように思えるが、その実200人近い人影が会場を埋めていた。その殆どは、はつせとひゅうがのAI達である。

ウイスキーをちびちびと舐めながら話しかける伊集院も、その横で疲れた笑みを浮かべている児玉も、先ほどまで"ファン"と称する女性型擬体たちに取り囲まれていたのである。実に数十名に上った彼女たちは、はつせ002からの散会命令を受けて追い払われていた。今は秋山中佐と石原少年の周囲に人垣が出来ている。

「まったく。若い女性に囲まれるなど想像もしてみませんでした。まるで歌舞伎役者だ。」

苦笑する児玉に、伊集院も思わず笑みが漏れる。

「ひとまず竜宮へやって来ましたが、鯛や鮃と遊びほうけているわけにはいきませんな。」

そういう伊集院の脳裏には、先ほど改めて見た『太平洋戦争』の記録映像があった。伊藤翁は、遠い将来アメリカとの対立は不可避だといっていた。もし戦が避けられないのであれば、戦って勝つ他はない。

ならば、自分の出来ることをやるまでだ。

「児玉さん。私はね、海軍に入って本当に良かったと思ってるんですよ。」

「ほう?」

児玉の相づちに、伊集院は笑みを深くした。

「大清と、ロシアと、二度もお国に恩返しの機会を与えてもらえた。薩摩の洟垂れ小僧に過ぎなかった私を、英国に送って学ぶことを許してくれたお国にね。そしてまた、今度は未来の技術を勉強させてもらえるんだ。」

ぐいっと手元のグラス呷る。

「だから、なんとしてもお国に恩返しがしたいんだ。あんなこと現実に起こさせてたまるかね。」

熱のこもった伊集院の声に、児玉は笑みを返した。

「私は、本当なら、いや、彼らの歴史では来年死ぬそうですよ。」

その台詞に目を剥いた伊集院に、児玉はニヤリと笑みを強めた。

「ですが、それを教えてくれた『ひゅうが』が言ってましたよ。『あなたは面白い人なので死んじゃもったいないです』ってね。」

二人は視線を合わせると、くつくつと腹の下で笑いを繰り返した。

「そりゃいい。面白いから死んじゃもったいない、ね。」

「ええ。それ聞いて思ったんですよ。こりゃあそう簡単に死なせてもらえないぞ、と。」

児玉は、笑いを残したまま続ける。

「あの子達は、あの子達なりに必死なんですよ。何に必死なのかは分からないが、他人の歴史をねじ曲げてでも成し遂げなきゃいけないことなんでしょうな。だから、私も彼女たちを利用させてもらいますよ。私らの未来にはあの子達が必要で、あの子達の現在には我々が必要だ。そう思うことにします。」

そういって、児玉も手元のグラスを空けた。

「もっとも、しばらくは環境に慣れるだけで精一杯ですがね。」

「違いない。老人には応えますな。」

擬体達に質問攻めに合う秋山や、からかわれて赤面している石原を眺めながら、二人はひとしきり笑いあった。


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