はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1905-07-03 Monday はつせの世界 第一章 3.5 幕間

神田頼子が目を覚ましたのは、低粘度ジェルが充填された医療ポッドの中であった。

バイタルサインが覚醒レベルに達したのをモニターが察して、周囲の明度が次第に上がってゆくと、微かに青みがかった液体を通して天井のLED照明がまぶしく見えた。

「お目覚めですね、神田曹長。今、ジェルを抜きますので、まだ喉のチューブや下腹部のドレーンは抜かないで下さい。」

周囲には、数体の医療従事用擬体が動き回っている。

彼女がぼうっとしている間に、体を支えていた液体が少しずつ水位を減らし、体につながれていた呼吸用や排泄用の器具が取り外されていく。何度か咽せると、呼吸補助なしで久しぶりに息を吸う。ベッドからジェルが完全に抜かれると、久しぶりの重力が彼女の体を押さえつけた。

「ここは。」

上手く動かない喉を振るわせてかすれた声を絞り出す。

「『はつせ』の医務室です。わたしは医療担当副主幹擬体、はつせ724です。」

「はつせ……なぜ。」

惚けた頭に、抑えたトーンで話しかける声が聞こえる。

「あなたは、輸送艦『たっぴ』艦内で37式戦車の整備作業中に落下した砲塔の下敷きになり重傷を負いました。覚えていますか?」

頭を振り、記憶を探る。そして、その瞬間の記憶がよみがえると、うろたえてお腹を押さえた。確かにつぶされたはずの腹部にも、その下の足にも欠損どころか傷さえない。ただ、ひどく力が入らなかったが。

神田が、なんだか見覚えのない自分の足を撫でていると、説明の声が降りてくる。

「内臓に一部欠損があったため、クローニングによる再生医療を施しました。脚部については完全に破砕されていたため再生が難しく、腰部より下のフレームを擬体化することになりました。申し訳ありません。」

「………そうですか。」

「事前に意思確認ができれば良かったのですが、意識レベルが低下したままでしたので、入隊時の承諾事項に基づいた処置が行われました。」

AIの気遣わしげな声は、神田の耳の中でうつろに響いた。

「まだ、ナノマシンの神経接合率が十分ではありませんので、体が思うように動かないかと思います。無理に動いたりなさらないで下さい。ひとまず清拭したあとベッドの方に移させていただきますね。」

はつせ724と名乗ったその擬体は、安心させるような笑みを浮かべると、周囲の擬体に指示して神田の体に残った医療用ベッドジェルをふき取り始めた。


艦内の医療区画は右舷内側の甲板下にある。残念ながら舷窓は無いから、窓の外を見て暇を潰すこともできない。せめてネットニュースでも見ようかと思いついたところで、病室のドアがノックされた。

「『はつせ』副主幹擬体、はつせ002です。失礼します。」

「……どうぞ。」

戸惑いながら神田が答えると、白い士官用制服を着た女性擬体が入ってきた。神田の搭乗していた『たっぴ』には士官勤務の擬体は居なかったから、この姿を見るのは初めてだ。

「陸軍第3師団第1機甲大隊戦車整備中隊所属、神田頼子曹長ですね。」

「はい。」

「改めまして、海軍第1艦隊第2臨時戦隊所属、戦隊旗艦『はつせ』の副主幹擬体、はつせ002です。初めまして。」

はつせ002は、ゆっくりと一分の隙もない敬礼をした。神田も、手慣れた敬礼を返す。ベッドの上で上半身を起こしたままではあったが。

「当艦は現在非常事態下にあり、やむなく小官が少将権限准尉として艦長代行および戦隊指揮官代理を勤めています。」

神田は目をむいた。8年の軍生活が染みついていてかろうじて声こそ挙げなかったが、擬体が部隊指揮を執る事態など今まで聞いたこともない。少将権限准尉なんてのも、全滅寸前の師団だって有ることではない。確かに非常事態だ。

「疑問符だらけかとは思いますが、当艦の置かれた状況をご説明しますので、ひとまず聞いていただけますか。」

神田が肯くと、

「まずはこちらをご覧下さい。」

そういって、その少将権限准尉は病室の壁際に立ち、なんの準備もなしに壁面に画像を呼び出した。

『はつせ』は、最新型のAI制御艦だったっけ、などとのんびりと思い出したのはこのときだった。その後の説明は、いろいろ有りすぎて混乱した彼女の思考を、さらなる大混乱へと叩き落としたにすぎなかった。




多目的揚陸支援艦『はつせ』艦内のとある一室。二つあわされた長机にパイプ椅子が4つ。そこに着席した4つの人影。

「ではこれより、第22回拡大はつせ会議を始めます。」

一人が口火を切る。白い夏期軍装に編み上げた長髪。胸にはネームプレートがぶら下がり、そこには『航海課 はつせ022』と印字されている。その腕には『議長当番』とかかれた腕章が巻かれている。こちらはなぜかマジックによる手書きである。

「出欠を取ります。まずは擬体出席者から。」

手元のクリップボードに目をおろし、4名の名前を読み上げる。その姿はモスグリーンの略式軍装。短い髪の上に同じ色の略帽。胸には『機関課 はつせ999』と印字されたネームプレート。腕には『書記当番』の手書き腕章。

「発議者、医療課主幹擬体はつせ711。」

「はい。出席しています。」

議長、書記の対面に座る一人が答える。薄いピンクの看護士服を着て、バレッタでまとめたセミロングの髪の上にはちょこんと小さな看護帽が載っている。胸につけたネームプレートにはやはり『医療課 はつせ711』と印字してあるが、その上から『今週の婦長さん』と書かれたファンシーなバッチが張られている。腕にはご多分に漏れず『発議者』の腕章。

「擬体出席者以上3名。ネットワーク参加者は……非番および予備AIから3448名、出席率97.2%です。」

『書記』が出欠確認を終えると、『議長』が肯いて後を引き継ぐ。

「本『はつせ会議』には、第7回よりオブザーバとしてCG-194『ひゅうが』から擬体および頭脳体に同席を戴いています。今回の同席者は?」

「CG-194『ひゅうが』より、飛行課のひゅうが033に来ていただいています。」

『書記』が答えると、最後の4人目が

「よろしくお願いします。」

と挨拶した。服装は『書記』と同じく略式軍装。ただし、髪型は簡素なショートヘアである。胸のネームプレートには『飛行課 ひゅうが033』の文字。腕には『オブザーバ』の腕章。

「「「よろしくお願いします。」」」

3人の『はつせ』も丁寧に答える。

「なお、本会議のログおよび議事録は航海日誌に添付、および艦内電子ライブラリに収録されますが、電子頭脳体保護管理規則21条4項通則3に基づき、情報担当士官および部長級職員のみの艦内開示制限となります。また、第6回会議の臨時規定事項として、CG-194『ひゅうが』航海日誌および艦内電子ライブラリにおいても同様の開示制限となります。情報の秘匿には留意して下さい。」

「「「了解しました。」」」

『議長』の前置きがおわると、やっと議事の討議に入る。

「では、発議者から発議内容の提示をお願いします。」

「はい。発議内容は、本艦にて現在加療中である2名の患者、『陸軍第3師団第1機甲大隊戦車整備中隊所属・神田頼子曹長』および『陸軍第3師団第2支援航空機整備中隊出向・陸軍幕僚部技術研究特課中央技術研究所所属・榊玄一郎特務大尉』の保護プログラム承認についてです。詳細は事前配布資料、文書番号HC0041-0022-01をご覧下さい。」

「ありがとうございました。本件に関しては事前に質疑応答が『はつせ井戸端チャットルームwithひゅうがも歓迎』にて行われており、コメント数は必要規定数に達しています。よって、十全の検討が本会議前になされたと見なし、評決に入りたいと思います。」

「「異議有りません。」」

「投票を行ってください。」

議長の声を受けて、『書記』が額に右手の人差し指を当てる仕草をする。口からは『むむむ……』というつぶやきが漏れている。

「投票受付を開始します……終了しました。結果、賛成2988、反対133、棄権330です。」

「『ひゅうが』でも参考投票を実施しました。参加188、賛成174、反対8、棄権6です。」

「ありがとうございます。本件は評決に達し、同保護プログラムについて承認するものとします。また反対者および棄権者については、はつせ会議開催規定第11条第6項に基づき、本日2400までのコメントの提出を義務とします。CG-194『ひゅうが』電子頭脳体参加者については任意とします。」

「「了解しました。」」

「では、第22回拡大はつせ会議を終了します。次回開催については、『はつせ掲示板』にて調整するものとします。お疲れ様でした。」

「「「お疲れ様でした。」」」

一斉にお辞儀する4名。

全員が頭を上げると、医療課のはつせ711が機関課のはつせ999を見て吹き出した。

「なんなの、あれ?『むむむむ……』ってさ。おかしくなったのかと思ったわ。」

「わたしも何かと思った~。なんか受信してるのかな~、とか。」

ひゅうが033も間延びした口調で続く。

「ああ、あれねぇ。松平機関長が以前言ってたのよ。『ホストにアクセスしてるときは、ボーっとしてるのか止まったのかと思っちまう。それ、何とかならんかな。』って。他の課でもそういう意見多かったみたいよ。それでね。『ネット中のオノマトペを考える会』って作って研究してるのよ。」

「ふーん。航海課だと、大体みんな平行タスクか子スレッドで処理するからあんまり言われなかったわね。」

「それも手なんだけどさぁ。うちの場合設計資料ライブラリへの検索ジョブとか遅めの処理が多くて、待ち時間出ちゃうことも結構有ってねぇ。」

「でも、『むむむむ……』ってのは無いと思うんだけど。」

「それがね、昔のKデータ集の中にこれの動作データがあってね。HMシリーズの量産モデルのヤツなんだけど……」

人ならざる彼女たちのおしゃべりは続く。会議所要時間約12分、井戸端会議の終わりはまだ見えない。非番のAIにとって目下最大の関心事は、人間の手伝いという最大のレクリエーションが無くなって発生した暇な時間をいかにして埋めるかと言うことだった。




「えっと。つまり、タイムスリップした上に乗組員が居なくなった。しかも原因不明、ということですか?」

「単純なタイムスリップとは言い難いでしょうけれど。タイムパラドクスを考えると、史上の1905年に酷似した平行世界に迷い込んだと解釈するのが、現時点では適切であると判断します。」

神田頼子が困惑顔で今までの説明をまとめようとしていると、目の前のAI、はつせ002はさらに混乱させるような台詞を曰った。

「はぁ。」

神田の口からは溜め息しか出てこない。事故で死にかかって、目が覚めればサイボーグにされてて、挙げ句の果てにタイムスリップである。夢でなければ自分の気が狂ったと思う方が遙かに楽だ。

「ひとまず状況は理解していただけましたか?」

「……たぶん、かろうじて呑み込めたと思います。」

はつせ002は、労るような表情を見せた。

「2ヶ月近くお休みされていた直後にこんなお話をしなくてはならないのが申し訳ないのですが、何分、本艦搭乗の陸軍部隊については最先任が貴方になりますので……。」

「!!……ああ、そうなるわけですね。それもそうか……もう一人の方は特務研究員でしたっけ。」

「ええ。陸軍の服務規程では、いかなる事態においても特務士官には指揮権が発生しないと規定されていますので。それに、榊特務大尉は、まだ意識が戻ってらっしゃいませんし。」

沈黙が降りる。神田頼子は、想像を遙かに超える事態に、完全に脳が飽和状態に陥っていた。

「すみません。ちょっと一人で頭を整理したいのですが。」

「わかりました。それに、少しお休みになった方が良いでしょうね。」

はつせ002は、一礼すると部屋の出口に向かう。

「ご用の時は遠慮無く呼んで下さい。」

圧搾空気の抜ける音がして、扉からはつせ002が出て行った。

片や、人にあらざる電子頭脳にして軍艦2隻の指揮権を預かる少将権限准尉。

片や、病み上がりの整備員にして師団長代行のお鉢が回ってきた曹長。

「ぶっちゃけ、ありえない~~~~~~!!!!」

神田頼子(当年とって26歳)が叫びたくなったのも無理はない。


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