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1905-06-19 Monday はつせの世界 第一章 3

その日、翌日に出航を控えた巡洋艦『千代田』に一通の通達が舞い込んだ。

艦長である村上格一大佐のもとにその奇妙な無電命令を伝えたのは、たまたま当直に当たっていた及川古志郎少尉である。

この、海兵31期を程々の成績で無難にくぐり抜けた22歳の文学青年は、舞鶴鎮守府の無電担当士官から受け取った連絡票を村上に渡しながら顔をしかめた。

「どういうことだ?」

「自分には分かりません、艦長。舞鎮の方でも、とにかく急いで連絡するように言われたようですが。」

「そうか。」

村上は目の前の電文を見て、むぅ、とうなり声をあげた。

-軍艦千代田は樺太派遣軍護衛の任を解き、第三艦隊臨時独立戦隊として別命あるまで舞鶴港に待機とする。

発信者は連合艦隊司令長官、東郷平八郎大将。日本海海戦の勝利からまだ1ヶ月と経っていない。今をときめく『大東郷』直々の命令である。

東郷閣下がなぜこんな命令を下したのか、村上には理解できなかった。

第三艦隊は、つい先週まで哨戒任務に就いていた。日本海海戦後、バルチック艦隊の残存艦艇の掃討や、朝鮮半島への兵員輸送の護衛に当たっていたのだ。そこへ来て、つい先日樺太上陸作戦を実施する陸軍の輸送護衛を命じられ、仙台へと移動する直前だったのだ。

わざわざ連合艦隊司令長官の名前で連絡してくるからには、よほど急ぎで重要な用件なのだろうが、村上にはまるで心当たりがない。

「俺は『須磨』へ行ってくる。」

「艦長、『須磨』や『厳島』にも舞鎮から連絡が行ってると思いますが。」

「直前に抜けるんだ。こっちの東郷さん*1や片岡長官*2に一言挨拶しないわけにもいかんだろう。」

そう言って村上は腰を上げる。

村上は甲板へと足を向けながらふと思った。

彼の軍歴は幸運に恵まれてると言っていい。

日清戦争では最新鋭艦吉野*3水雷長として緒戦に参加したし、今回の戦役でも、開戦時に『千代田』艦長として仁川港からの脱出と直後の仁川沖海戦で少なからず名をあげた。

その幸運を見込まれて、またなにか厄介事を任されるのではないか。

村上を指名した東郷閣下自身、山本海軍大臣*4が陛下の御前で「運のいい男だ」と言う理由で連合艦隊司令長官に補弼された人物である。同じような人選で自分が選ばれたとすれば、悪い気はしない。

訳の分からない状況が起きつつあるのに、村上の足取りは意外なくらい軽くなっていた。


翌日遅く。

鎮守府から来た連絡を受けたのは、またしても及川少尉であった。

昼前に続々と第三艦隊の僚艦達が出航して行き、湾内には数隻の駆逐艦水雷艇が侘びしげに浮いている。幸いにして埠頭に空きが出来たので、『千代田』は泊地から錨を抜いて桟橋に舫っていたため、内火艇をわざわざ出さずに鎮守府と連絡が取れる。

連絡は、相談があるため鎮守府長官室まで村上艦長は出頭されたし、というものだった。

その連絡を聞いた村上は、待ってましたとばかりに出かけた。

鎮守府長官室に出頭すると、日高長官*5の他、3名の海軍武官が村上を待っていた。

「連合艦隊司令部参謀の方々だ。」

日高がそう紹介したのにあわせて、村上が敬礼すると、3名もそれぞれ敬礼を返す。

参謀長加藤友三郎少将、参謀・秋山真之中佐、同じく参謀・飯田久恒少佐。連合艦隊の主要参謀が勢揃いだ。日本海海戦のあとは大きな作戦もないとは言え、参謀長以下高級参謀*6が全員抜け出してくるとは異常事態にも程がある。

「加藤君、私は席を外す。あとはそちらでよろしくやってくれ。」

にこりと笑うと日高は部屋から出て行った。

「それで・・・、一体何事ですか?」

「すまなかったな村上。『千代田』だけ艦隊から外れて貰って。」

加藤が口を開く。露探艦隊とまで呼ばれ国民に叩かれた第2艦隊の参謀長を経験した苦労人だからだろうか、口調も態度ももの柔らかい感じを受ける。

加藤は村上の4期上であるが、村上と同じく巡洋艦吉野の回航委員を務め、黄海海戦では砲術長として共に戦っている。気心の知れた相手であった。

「いえ。陸さんのお守りで樺太くんだりまで行かずに済んでほっとしています。」

冗談交じりにそう言うと、加藤と飯田はニヤリと笑ったが、秋山だけが表情も変えずに口を開いた。

「まずこれを見ていただきたい。」

そう言って一通の封書を差し出した。

「封緘命令書ですか?」

受け取って見ると、『宛 軍艦千代田艦長 村上格一大佐』となっている。目で確認すると秋山が軽く頷いたので、丁寧に封を切る。

-軍艦千代田は、連合艦隊司令部参謀長加藤友三郎以下の指示に従い、日本海にて特別任務に当たるものとする。

署名はやはり、連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将。

「特別任務というのは?」

村上がそう言うと、加藤は秋山に目配せした。秋山は、もう一度別の紙を差し出しながら、

「これは内密にお願いします。」

と念を押した。

村上が受け取った紙にはこう書いてあった。

-発 軍艦初瀬 宛 連合艦隊司令長官

-当方異常事態にあり、救援を求む。

「……何の冗談ですか?これは。」

村上がそう言うのには当然理由がある。日本の主力たる六六艦隊の一翼を担っていた一等戦艦初瀬は、昨年5月の旅順要塞閉塞作戦中機雷に接触、僚艦の一等戦艦八島とともに戦没している。それは帝国海軍の痛恨事だっただけに、未だに記憶に新しい。

戦没した戦艦からの通信など、タチの悪い冗談としか思えないだろう。

「残念だが冗談ではないのだ。飯田君……」

「はい。」

加藤は溜息混じりに答える。そのあとを飯田が受けた。

「この文面が繰り返し受信されたため、東郷長官の指示で『救援を送る。位置を知らせられたし。』と返信したところ、『救援を感謝する。北緯38度20分東経138度50分にて会同を待つ。』と返事が来ました。少なくとも電信を返送できる相手が居ることは確かです。」

「ふむ。すると、私と艦の役目はお三方をその『何者か』のところまでお連れする、竜宮城の亀と言ったところですかな。」

ははは、と笑ってみせる村上に、秋山は眉も動かさずしれっと答えた。

「出てくるのは乙姫ではなく船幽霊かもしれませんが。」


初夏の日本海は穏やかに凪いでおり、船足12ノット弱の千代田は、約一昼夜かけて順調に目標の海域に達した。

「こんなところへ来て、全体どうしようって言うんだ。」

及川少尉は、前部甲板で双眼鏡をのぞき込んでいた。先日、佐世保に寄港したときに洋品店で購入したものだ。東郷閣下のドイツ製『カール・ツァイス』と同じものが欲しかったのだが、高すぎて手が出なかったため、やむなく国産のものである。とはいえ、周囲で裸眼監視を行っている見張り員よりは分が良い。もっとも何を探せばいいか聞いていないのだから探しようもないのだが。

頭の中で短歌の文句をひねりながら漫然と周囲を見回していた及川の目に、何か光がちかりと映った。北北西の方角だ。

よく見てみると、水平線にマストらしきものが少しずつ姿を現し始めているのが確認できた。

「艦長!10時方向にマストが見えました!!」

20mほど後ろの艦橋で、艦長と客であるところの連合艦隊司令部参謀たちが双眼鏡を同じ方向に向けている。

「良くやった、及川少尉。」

艦長から褒められて、及川は屈託のない笑顔を浮かべた。

それにしても、僚艦との会同地点にしては妙な場所じゃないか。それに、何か変だ。普段ならいくら双眼鏡を使っていても、見張り員の方が目敏く煙を見つけてしまうはずだ。……煙が見えない?

「総員戦闘配置!左舷砲雷戦に備えよ!!」

「え!?敵艦なのか!!??」

及川の戸惑いを打ち払うように発令が響く。

慌てて持ち場の左舷の2番4.7サンチ副砲に駆け戻るが、その後ろでマストの見張り員から声が上がる。

「艦長!発光信号です!」

しばらく司令部参謀や艦長が何か話していたが、しばらくして

「戦闘配置のまま待機。」

と声が降りてきた。

なにやら訳が分からないが、一つだけハッキリしていることがあった。

「大きいな。それに速い……。」

水平線から姿を現しつつある艦は、恐ろしい速さで近づいて来ている。その大きさは、遠目に見ても一等戦艦並かあるいはそれより大きい。

艦の人間すべてが緊張しながらその姿を見守っていた。


「軍艦『日向』??」

「はい。『当方は軍艦日向。軍艦初瀬代表者を帯同。会同を祝す。』以上です。」

見張り員が報告すると、何とも言えない微妙な空気が艦橋に漂った。

「艦籍にはそう言う船はありませんね。当然ですが。」

秋山の冷静な声に、一同、なんだか落ち着きを取り戻す。

「『会同を祝す。当方救援艦千代田。』と送り返してみてくれないか。」

加藤の声に皆がそれぞれの仕事に戻る。

首脳部はやるべきことは分かっているようだ。オレたちが気を回すことじゃない。そう信頼を深めたのか。

それとも、あまりに理解不能な事態に、目の前の仕事に逃げ込みたくなったのかもしれない。

「『当艦搭乗者の貴艦乗り込みを許可されたい。』とのことです。」

「ああ、許可してやるさ。」

近づいてくるその巨艦を眺めながら加藤はつぶやいた。

「三笠より遙かに大きいですね。艦幅はやや細いでしょうか。……砲が2門しかありませんね。」

秋山が冷静に述べるが、独り言が漏れるのはむしろ動揺しているのかもしれない。

「『当艦乗り込みを許可する。』そう言ってやれ。」

村上がうなるように言った。


50mほど挟んで互い違いに横並びする二艦。

一方の千代田の甲板には乗組員が並び、相手をのぞき込んでいるが、ひゅうがにはまるで人気がない。

千代田の方に左舷を向けたその巨艦は、異様な軍艦であった。

敷島級一等戦艦を遙かに凌駕する全長ながら、砲塔と思しきものはわずかに単装のものが前後に一基ずつしかない。巨大にそそり立つ艦橋らしき建造物は斜めに交わる直線で構成された複雑で鋭角的なシルエットを持ち、その後ろにはマストと煙突、倉庫らしき大型の構造物。そして用途不明な広々とした後甲板。

全長94.5mの千代田の倍はあろうかというその艦は堂々たる『戦艦』に見えるが、武装は2門の13サンチ程度の砲とガトリング砲らしきものが2門に魚雷発射装置のようなものが見えるだけである。船幅が細いせいもあって非常にスマートな印象は受けるが、戦艦特有の威を払う力強さとは無縁の船容である。もっとも、艦全体が黒と灰色で配色され、船体のあちこちを鋭角的なギザギザで彩られたその姿は、伝奇的な異界の美と恐怖を感じさせるものであった。

千代田の乗組員が見守る中、ひゅうがの艦橋基部から二人の女性が現れた。

第二種軍装に似た白い夏期女性用礼装に身を包んだ、はつせとひゅうがである。

二人は、息をのんで見守る男達の前で、自動的にクレーンで降ろされたランチに乗り、穏やかな海面をしずしずと千代田に向かって進んでくる。

狐につままれたような顔をした人々の前で、降ろされたタラップから千代田の甲板に上がってきた二人は、中甲板に待つ村上と加藤以下参謀達の前まで歩いてくると、教科書通りの海軍式敬礼をした。

「お初にお目に掛かります。日本国防海軍揚陸支援艦『はつせ』、頭脳体主幹擬体・はつせ001です。」

「同じく、日本国防海軍巡洋艦『ひゅうが』、頭脳体主幹擬体・ひゅうが001です。」

「ご足労ありがとうございます。加藤少将閣下、村上大佐、秋山中佐、飯田少佐。お会いできて光栄です。」

ぽかんと呆気にとられる一同の前で、二人は笑みを浮かべた。

「……どうやら、船幽霊ではなく乙姫の方だったようですな。」

秋山の、呆然とした声が響いた。


>第一章 3.5

*1:東郷正路少将、第三艦隊第六戦隊司令

*2:片岡七郎中将、第三艦隊司令長官

*3防護巡洋艦吉野。竣工の1893年当時、23ノットの高速力と多数の速射砲を装備し世界最強の巡洋艦と言われた。1904年5月15日旅順港閉塞作戦中に装甲巡洋艦春日と衝突して沈没。

*4山本権兵衛大将

*5:日高壮之丞長中将。東郷平八郎と入れ替えに常備艦隊司令長官(≒連合艦隊司令長官)から舞鶴鎮守府長官の閑職に飛ばされた。

*6:連合艦隊司令部は第一艦隊司令部を兼務