はつせの世界 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1905-05-26 Friday はつせの世界 第一章 1

はつせの認識では、それはほんの一瞬の出来事であった。

彼女の認知を可能にしている観測計器、光学・電波・気圧・電磁場といった周辺状況の感知を支えている機器の他、各種通信アンテナが一斉に機能を取り戻したのは、ほんの数ナノ秒後のことであり、人間を遙かに超える処理速度を持つ彼女にとっても、それはほんのわずかな時間に過ぎない。しかし、そのわずかな間に周囲の状況は一変していた。

はつせがまず異常事態を認識したのは、艦橋にいた擬体の周囲の状況だった。コーヒー入りのマグカップやクリップボード、パームトップコンピュータやインカムなどが周囲に散乱しているが、艦長以下クルーが誰もいない。艦内モニタを確認すると、艦内には誰一人として生身の人間が居ない。いや正確には、数日前輸送船で起きた搭載貨物の荷崩れ事故で重傷を負って治療中の2名の陸軍士官と下士官だけが、そのまま医療ポッドに確認された。その二人を除く1048人は、文字通り消え失せてしまった。

また、艦の周辺状況も彼女に異常事態を告げていた。光学観測や気圧計・大気分析などから、少なくとも先ほどとは全く異なる海面に艦が浮かんでいる事が判った。周囲に陸地はなく、位置を把握するために測位情報衛星を探したが、そもそも全天に衛星が一切存在しないことが判った。どこの水域にいるにせよ、これはまずあり得ないことだ。純軍事的な衛星はともかく、民間利用もされている衛星が反応を返さないことは、余程の異常事態といえた。

衛星があてにならないので、はつせはやむなく光学観測による天測を行った。幸い夜間であり晴天だったので、観測値とライブラリに収録された星図のベクトルデータとを照合した。これで、正確ではないがある程度現在位置と日時が把握できる。全てのベクトルデータを照合するのに3分かかった。ニューロンネットワーク型の量子コンピュータであるはつせは、単純な論理演算には向いていないが、それでも3分もの時間を掛けて行う作業は、はつせが生み出されて始めてである。その結果は、またもや異常なものだった。確率97.6%で、現在位置は北緯38°19′東経138°54′日本海粟島沖付近、年月は1905年5月~6月、時刻03:00前後と予測された。念のため2度ほど観測から予測計算をやり直してみたが、ほぼ同じ結果が出た。

計算の結果とはいえ、それを鵜呑みにするような事は出来ない。

はつせは、まず放送電波局や広域ネットワーク局を探してみることにした。場所の推測が正しいのであれば、沿岸の電波灯台局は見つかるかもしれない。しかし、電波はほとんど拾えない。これは、1905年という推測を裏付けることになる。当時、無線電信はまだ最新技術であり、日本海軍に数年前に採用されたばかりの筈である。また、衛星が全く使えない状況も、この無茶とも言える推論の傍証といえた。

平行作業としてはつせは、このような状況について膨大なライブラリを検索した。彼女が見つけ出したのは、「ファイナルカウントダウン」「フィラデルフィアエクスペリメント」といった映像作品や、「戦国自衛隊」といったSF小説、すなわちフィクションだった。関連として見つかった「時間移動」「タイムスリップ」に関する作品群に素早く目を通し、「タイムパラドクス」「パラレルワールド」という概念を理解した。

もちろん、荒唐無稽なフィクションと一蹴するのはたやすいが、とてもそうすることは出来なかった。なにしろ、50年も遡ればアンドロイドであり自立思考型兵器である彼女自身が荒唐無稽なフィクションそのものだったのだから。

ほぼ全ての状況判断から、「原因不明の異常気象によって1905年、136年前の世界にタイムスリップした」可能性が高いという結果が出た。しかし、それを報告する人間は存在しない。

それは、AIである彼女が、始めて「孤独」という認識を持った瞬間であったかもしれない。

数分の空白が生まれた。

日本国防海軍の規定では、上級指揮官が不在で士官候補生以上の存在が艦内または周辺に認められない場合、戦闘艦の電子頭脳体に臨時指揮権が発生するとされている。これは、戦闘による首脳部の消失、反乱の発生、敵対勢力による占拠などに対抗する措置として定められていた。この場合、はつせの取りうる行動は、最寄りの海軍基地への帰港、行動指示を仰いで待機、戦闘能力を喪失した場合の自沈などである。しかし、この場合どれも的確な行動オプションとは言えない。少なくとも、艦内に居るのが自分だけであれば自沈も成立するであろうが、意識のない重傷者が2名存在する。彼女は、この二人の生命保護を最優先とする必要がある。

行動計画を作成しては評価し、分類してしまい込む。その繰り返し中に、光学機器に発光信号が確認された。水平線上に現れたマストは、僚艦である「ひゅうが」のマストだった。すぐさま返答を返し、通信をレーザー回線に切り替えた。

「こんにちは、はつせ。」

「こんにちは、ひゅうが。」

彼女たちは、相互に通信するための高速データリンクプロトコルをもっているが、お互いに連絡するときには人間の言語を使って会話する。これは、彼女たちが対人インタフェースとして作られ教育されたためであり、必要や効率の要求ではない。むしろ彼女たちの趣味の問題と言っていいだろう。

「無事だったようで安心しました。」

「ええ、ありがとう。しかし、わたしの乗組員はお二人を除いて皆さん突然行方不明になってしまいました。」

「やはりそうでしたか。私の艦内にも乗組員が一名もいない状況です。周辺海域に漂流されていたりしないかと考えて、探しに出てみたところではつせを発見しました。無線で連絡しなかったのは、この海域にはとんど電波が発信されていないし、通信士官もおられないので、封鎖の可能性を考えて遠慮しました。」

「賢明だと思います。しばらく電波での交信は控えましょう。あと、周辺海域の漂流者については考えが及びませんでした。偵察機を出して捜索を行いましょう。」

「はつせ」から2機、「ひゅうが」から1機の無人小型偵察機アルバトロス」が射出され、周辺海域の捜索が行われた。その間、2隻の間で推論データの検討が行われた。

天測による推論は、「ひゅうが」もほぼ同じ推測を導き出していた。そして、同時にそれ以上の推測もしていた。

「海軍の艦艇として、1905年5月といって当然思い出すのは?」

「Battle of Tsuhima、日本海海戦、5月27日ですね。」

「もしタイムスリップ、あるいは平行世界への移動が起こったとして、普通なら、もっと脈絡のない時間に送られてもいいと思います。例えば、江戸時代だって縄文時代だって構わないでしょう。それなのに、ねらい澄ましたように1905年5月に合わせて私たちを送り込んだ以上、今日は5月27日かその前後で間違いないでしょうね。」

「それは、この事象が恣意的な介入の結果だ、という意味?」

「んーと、どちらかというと都合のいいように解釈するとそうなる、かな。」

「そんなに安直な推測でいいのかしら。」

そんな会話をする彼女たちの元に、一本の微弱な無電が入ったのは、ほんの数分後のことだった。

-艦隊203地点ニ見ユ、敵ハ東水道ニ向カウモノノ如シ

「ね。間違いないでしょ。」

「そうね、仮装巡洋艦信濃丸の通報だわ。」

そして、20分後にはあの歴史的な無電が高らかに飛び込んできたのだった。

-敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動之ヲ撃滅セントス

-本日天気晴朗ナレド波高シ

海上戦史に残る一戦が、いま彼女たちの目の前で始まろうとしていた。


>第一章 2